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喜びも中くらいなり、クラブ・ワールドカップ杯

鹿島アントラーズが、ワールドカップ杯決勝への勝ち進んだ。

Jリーグだけでなく、アジア勢として初の快挙なので、素直にうれしい。

 

しかし、その喜びも中くらいなり……..

それは前半戦30分頃の、サッカーのビデオ判定の所為だ。

突然試合がストップし、見ている側は何が何だかわからない。

二、三分後、主審が戻ってきて、日本のPKを指示した。

これを鹿島側が決めて、一点リードの展開になったのだが、ビデオ判定をよくよく見れば、鹿島のFKの際に一番遠くにいた選手同士が、ゴールエリアでもつれ合ったもの。

普通なら、結果に大きな影響がないと、見逃される程度のモノだった。

 

昨日のナシオナル・メデジン戦では、鹿島は圧倒的に攻め立てられていた。

ゴールキーパーやディフェンスのの獅子奮迅の活躍で、何とか持ち堪えていたが、早晩得点されそうな感じがするほど苦戦していた。

しかしそれがあのPKで得点したのだから、南米チャンピオンに思いもかけない苦戦を強いることになった。

鹿島は後半に見事な二点を獲得したのだが、しかしそれも前半のPK得点がなければ、どうなったかはわからない。

 

テレビ放送中に、ナシオナル・メデジンのサポーターは、自分の車を売って旅費を工面したとの逸話が紹介されていた。

確かに我々日本のサッカーファンには、日本勢が決勝戦に進出したのは一大快挙だ。

しかし南米のサポーターにはFIFAが、「試合結果を左右するような誤審を防ぐ」目的で導入したビデオ判定を恨んでいるだろう。

こんな場合、我々日本サポーターも、結果が良かったからビデオ判定に賛同するのはどうにも納得できない。

 

既にビデオ判定を持ち込んでいるアメリカン・フットボールやバレーボール、あるいは相撲のように、途中途中でストップをかけることが可能なスポーツなら、より公平を求めてビデオ判定を導入する意味がある。

しかしサッカーは、前後半90分間休むことなく動き回っているスポーツだ。

それがビデオ判定の間は、選手は何もすることがなく、ただ待っていなければならない。

これは、実に間が悪い。

 

確かにサッカーは、コース内には主審が一人で、隅から隅まで走り回っている。

当然目の届かない点も多く、他のスポーツよりも誤審の可能性は高い。

忘れもしない、ワールドカップ最終予選の初戦、対クウェートでは、日本の明らかなゴールが見逃された。

また極東中東の笛とか、あるいは極東の笛とまで揶揄される、かなり如何わしい判定もある。

 

しかしそれも含めて、世界中が「それがサッカー」と割り切ってきたはずだ。

試合中のビデオ判定は、サッカーにはそぐわない。

鹿島の勝利は嬉しいが、ナシオナル・メデジンの選手、サポーターにやりきれなさが残ったとすれば、それが残念だ。