石原慎太郎の記者会見は、賛成一割、反対九割の印象だ。
反対意見の大半は無責任との批判であり、記者の一人は石原慎太郎に対して「恥晒し」とまで面罵した。
僕はやはり、石原慎太郎の老いを感じてしまった。
脳梗塞を患った所為もあるのだろうが、顔も若干むくみ気味だし、何よりも歩き方がタドタドシイ。
せっかくの記者会見だったら、もっとうまい立ち回り方があったはずだ。
石原慎太郎は、最高責任者としての責任は認めながら、その直後には「だけど皆で決めたのだから、自分一人の責任ではない」と話した。
確かにその通りなのだが、記者の追及も、テレビに流れるツウィートも、「記憶にない」とか「部下に一任していたとかの自己弁護ばかり」と、辛辣な意見ばかりだった。
普通なら順番が逆で、「大半は部下任せだったので与り知らなかったが、しかし自分に責任がある」と釈明するものだが、こんなところにも石原慎太郎の老耄ぶりが表れていた。
ところがその後、異常値が報告されハチの巣をつついた騒ぎになった9回目の豊洲市場地下水モニタリングのやり方について、それまでの方法と違っていたことが判明した。
実は過去8度のやり方が間違いで、9回目の方法が正しいとの学者のコメントもあった。
(テレビ朝日の玉川徹も、この点を力説していた)
また、過去8回のモニタリングで、結果が良く出ることを知っていて、このやり方を採っていたのなら、当時の関係者は悪質だと力説するコメンテータもいた。
しかしこの主張は、全く頓珍漢なのだ。
先ず何はさておいても、過去8回と同様のやり方をしないと、データの連続性が損なわれる。
9回目のモニタリングを実施した業者は、今までと同じやり方を主張したと証言している。
それに対して東京都側が、「責任は持つから、パージ水を検査するように」と指示したというのだ。
ここから、9回目の検査は東京都側が主導して実行したことが分かる。
では何故、東京都は検査方法を変えたのか?
学者によると、過去8回のやり方では揮発性の高いベンゼン値は低くなるものらしい。
都側が「責任を持つ」とまで言うのなら、それを知ったうえで9回目のやり方を指示したのであり、目的は「検査結果を悪くするために!」しかない。
では更に、何故検査データを悪くする必要があったのか?
その後の展開を考えると、ある仮説ができる。
9回目に劇的に悪化した検査結果が発表された後、
そこで、小池百合子本人か、その周辺か、若しくはその意向を忖度した都側の担当者が、結果が悪くなることを分かっていた検査方法を業者に強要した。
そう考えると、話の辻褄があってくる。
その余りの露骨さに、支持率80%を超えていると言われた小池百合子人気にも陰りが見えてきているらしい。
僕は、小池百合子の欺瞞性が露呈し、軽薄にもその人気に預かりたいと自らの節を売り払った政治家たちに鉄槌が下ることを念じてやまない。
それにしても、石原慎太郎が放った「科学が風評に負けるのは国辱だ」の言葉は、老いたりとは言え作家の面目躍如の名言だ。
今重要なのは、「安全と安心」などと言って疑心暗鬼を煽るのではない。
データをベースにした、冷静沈着な科学的判断のはずだ。