日本選手団にとって、待望久しい金メダルなだ。
当日は、朝からテレビで盛り上げていたが、実際に両選手が競技したのは午後1時過ぎ。
それまで、あれこれ心配しながら待つのも、結構辛いものがあった。
金メダルが決まった時の羽生結弦の涙も、銀メダルを獲っても飄々とした宇野昌磨の表情も、いずれもグッジョブ!
ところで韓国のネット界では、日本選手のメダルについて様々なイチャモンがついているらしい。
曰く、
・羽生は二度ふらついた
どうも、羽生の金メダルは仕方ないにしても、「宇野の銀メダルはおかしい、フェルナンデスが銀だ」と言いたいようだ。
また、韓国の英雄、バンクーバーで金、ソチで銀メダルでオリンピック連覇を逃した金姸児の方が凄いなどと、例によって例のごとく我田引水のウリナラマンセー根性丸出しだ。
フェルナンデスがノーミスだったなどは、素人の僕が見ても韓国人の眼力がなさが分かるが、彼らにとっては、日本選手の活躍が我慢できず、日本人には厳しく、日本のライバルには大甘で見てしまうのだろう。
発狂状態の韓国は無視するとしても、やはり採点競技については異論が出やすい。
陸上競技や水泳については、絶対的な評価基準が存在する。
速さは時間で、「より遠く、より高く」を競う種目でもまた、達成した距離が測定される。
しかしフィギュアや体操では、審査員の主観によって点数が決められる。
古い話で恐縮だが、東京オリンピックの体操競技では、当時のソ連の審査員は日本選手に滅茶苦茶に低い点をつけていたし、逆に日本審査員も、報復のようにソ連選手には厳しかったが、双方ともに国の威信が掛かっているので、こんな程度は当たり前だった。
しかし流石に最近では、採点基準を数値化するための工夫がなされているらしいが、今回の羽生選手のフラツキ具合や、宇野選手の最初の転倒の減点については、人によってどうしても差が出てしまう。
その為に多くの採点競技では、最高点と最低点についてはカットして平均するようだが、逆に見れば、人によってそれだけ評価の差が出てしまっていることを表している。
フィギュアに関しては、もう一つ問題がある。
およそ二年前、羽生結弦選手が初めて300点超の得点を叩きだした。
その時に先輩スケート選手の佐野稔は、「これは百メートル競走の7秒台に匹敵する大記録」と大ハシャギだった。
タイムを0.1秒縮めるために何十年もかかる陸上百メートルと、採点競技のフィギュアを同列に論じるのは身の程知らずが過ぎると、僕は不快感すら持った。
それから二年経過したが、陸上百メートルでは9秒半ばまで記録を縮めたが、7秒台など見果てぬ夢ですらない。
しかしフィギュアでは、今回の平昌オリンピックのメダリストは全員が300点超だ。
審査員は人間であり、機械ではない。
どんなに凄い技術であっても、一旦見慣れると、次にはそれに近い演技には同じような点数をつけてしまうので、インフレ評価になりがちだ。
今回の羽生選手、宇野選手の快挙については、フェルナンデス選手の母国、スペインや、日本が大嫌いな韓国ではあれこれ言われるのは仕方がない。
しかし、競技に参加した世界中のトップ選手の中で、一番と二番の評価を得たことは間違いない。
日本人初めての金メダルなので、僕は素直に喜んでいる。