僕は大学の教授から、マルクス主義の正しさを徹底的に教え込まれた。
だから僕は、少しは真面目にマルクス主義を勉強したとの自負がある。
しかし、「少しおかしいな」と思うまでには、さほど時間を要していない。
最初の疑問点は、人類平等を謳い、理想主義を掲げている割には、幹部と一般活動家の格差が大きすぎることだ。
デモや集会でも、危険な場所は一般活動家の守備範囲で、幹部は演説をぶてば、後は表に出ることはない。
幹部クラスは、食事も宿舎も全て特別扱いを受ける。
そんな疑問に対しては、「幹部は常に敵に狙われているから」とか、「幹部は余人を持って代えがたい存在だから」と言い訳されたが、どう見てもエリート主義そのものに見えた。
また実際に働き始めると、マルクス主義者が革命の主力と崇め奉っていた労働者の中で、「革命が必要」なんて思っている連中は皆無だった。
労働者の最大の関心は、昇進や賃金であり、自分たちの職場は未来永劫続くものと思っていた。
労働者が、先に覚醒した学生や前衛たちの指導を待って蜂起するなんて、全くの絵空事に過ぎない。
むしろ学生運動なんて、地に足をついていない軽薄な行動とバカにされていた。
現実の共産主義は、世界中で行き詰る。
東西問題の象徴だった、ベルリンの壁が崩壊したのが1989年。
ついには、インターナショナルの本部まであったソビエト連邦ですら、1991年に崩壊してしまった。
これを以て、「マルクス主義は世界中に災厄しかもたらさなかった」との意見もあるが、しかしマルクス主義の提起した人類の平等の概念は、貧富の格差是正やマイノリティの保護など、むしろ資本主義の中に取り入れられ、資本主義延命に一役買っている。
マルクス主義にとっては、何とも皮肉な結果になっている。
乏しきを分かち合い、他人の成功を妬むことなく喜ぶような人間ばかりなら成立するかもしれない。
しかし人間は、自己中心であり、顕示欲が強く、競争して勝ち抜くことを好む。
当然ながら、勝利者になれば、それなりの報酬を期待する。
そんなエゴ丸出しの人間集団に、「平等こそが一番大事」などと説いても、受け入れられるものではない。
僕は日本共産党は、党名を変更しない限り、党勢は弱体化の一途だと思っている。
豪邸を構える幹部クラスの堕落振りはさておき、日本共産党党員の献身性、自己犠牲的精神は、他の政党にはないレベルだ。
そんな真面目な党員が、破綻した共産主義を信奉して活動している様はシーシュフォスの岩を見るような気分だ。