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共産主義(マルクス主義)の終焉

カール・マルクスが「共産党宣言」の中で、「ヨーロッパを幽霊が徘徊している。共産主義と言う幽霊が」と、共産主義の勃興を謳ったのが170年前の1848年。
日本のマルクス学者、向坂逸郎が著書「マルクス伝」の中で、「地球上の三分の一の国家がマルクス主義を信奉している。これこそマルクス主義の正しさの証明」と主張したのが1962年。
僕の学生時代はマルクス主義の隆盛期で、「マルクス主義こそが世界を救う」と信じられていた。
 
僕は大学の教授から、マルクス主義の正しさを徹底的に教え込まれた。
中でも、「マルクス主義は世の中の矛盾を全て解決できる科学だ。その証拠に、有名な物理学者は全員がマルクス主義者だ」と、湯川秀樹武谷三男の名前を出されたのは衝撃だった。
特にノーベル賞受賞者だった湯川秀樹理論物理学研究に、マルクス主義の考え方が貢献していると言われると、「そうか、マルクス主義は世界を救うのか!」と、二十歳前の純粋な僕は信じ込んだものだ。
だから僕は、少しは真面目にマルクス主義を勉強したとの自負がある。
 
しかし、「少しおかしいな」と思うまでには、さほど時間を要していない。
最初の疑問点は、人類平等を謳い、理想主義を掲げている割には、幹部と一般活動家の格差が大きすぎることだ。
デモや集会でも、危険な場所は一般活動家の守備範囲で、幹部は演説をぶてば、後は表に出ることはない。
幹部クラスは、食事も宿舎も全て特別扱いを受ける。
そんな疑問に対しては、「幹部は常に敵に狙われているから」とか、「幹部は余人を持って代えがたい存在だから」と言い訳されたが、どう見てもエリート主義そのものに見えた。
実際の社会主義共産主義社会でも、必ず幹部党員の腐敗堕落振りが問題視されるが、これは当初は高い志を持っていたにも拘らず、地位が人を陥れることを表している。
 
また実際に働き始めると、マルクス主義者が革命の主力と崇め奉っていた労働者の中で、「革命が必要」なんて思っている連中は皆無だった。
労働者の最大の関心は、昇進や賃金であり、自分たちの職場は未来永劫続くものと思っていた。
労働者が、先に覚醒した学生や前衛たちの指導を待って蜂起するなんて、全くの絵空事に過ぎない。
むしろ学生運動なんて、地に足をついていない軽薄な行動とバカにされていた。
 
現実の共産主義は、世界中で行き詰る。
東西問題の象徴だった、ベルリンの壁が崩壊したのが1989年。
その後は、東欧諸国の共産党政権が相次いで倒され、1990年には東ドイツが西ドイツに編入される形でドイツ統合へと進む。
ついには、インターナショナルの本部まであったソビエト連邦ですら、1991年に崩壊してしまった。
1917年のロシア革命以降、わずか74年で、共産主義革命のメッカが消滅したことになる。
 
現在では、共産主義を掲げる国家は数えるほどしかなく、且つその中の中国や北朝鮮は、共産主義とは全く無縁な国家運営だ。
先の向坂逸郎の言を借りれば、「地球上の三分の一だったマルクス主義国家が消滅したのは、マルクス主義が間違っていたことの証明」になり、マルクス主義は壊滅した。
これを以て、「マルクス主義は世界中に災厄しかもたらさなかった」との意見もあるが、しかしマルクス主義の提起した人類の平等の概念は、貧富の格差是正やマイノリティの保護など、むしろ資本主義の中に取り入れられ、資本主義延命に一役買っている。
マルクス主義にとっては、何とも皮肉な結果になっている。
 
僕なりの解釈では、マルクス主義の理想は、人類の性善説がベースだ。
乏しきを分かち合い、他人の成功を妬むことなく喜ぶような人間ばかりなら成立するかもしれない。
しかし人間は、自己中心であり、顕示欲が強く、競争して勝ち抜くことを好む。
当然ながら、勝利者になれば、それなりの報酬を期待する。
そんなエゴ丸出しの人間集団に、「平等こそが一番大事」などと説いても、受け入れられるものではない。
マルクス主義は、天才マルクスが頭でっかちで考え出したユートピアだけで通用する、特殊な理想論でしかない。
 
僕は日本共産党は、党名を変更しない限り、党勢は弱体化の一途だと思っている。
豪邸を構える幹部クラスの堕落振りはさておき、日本共産党党員の献身性、自己犠牲的精神は、他の政党にはないレベルだ。
そんな真面目な党員が、破綻した共産主義を信奉して活動している様はシーシュフォスの岩を見るような気分だ。