昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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企業としての吉本興業の見方  

 

吉本興業が、大揺れに揺れている。

本来なら、ダウンタウン松本人志の調停で、シャンシャンと終わるはずが、岡本昭彦社長の記者会見でボロボロになってしまった。

記者会見にあたって、Q&Aを準備し、入念な予行演習もやったはずなのに、肝心の主役、岡本社長の滑舌の悪さ、間の悪さは、それだけ取り出せばお笑いタレント並みのインパクトがあった。

しかしそれは、あくまでお笑いの世界で通用する技で、経営者としては大問題だ。

 

吉本興業の誤算は、岡本社長の、あまりにも下手くそなマスコミ対応にあるが、最大の見込み違いは、極楽とんぼ加藤浩次の反乱だろう。

加藤は、吉本興業取締役の総退陣を要求した。

その結果、吉本興業は大崎洋会長と運命を共にすると公言した松本人志か、大崎会長も含めて総退陣を求める加藤浩次の、いずれかを失うことになった。

 

吉本興業は、求めに応じて芸人を派遣する企業なので、作ったものを販売する企業とは、若干趣を異にする。

対象が、品物か人かの差はあるが、しかし企業である以上、マネジメントは同じだ。

そう思って今回の騒ぎを見ると、吉本興業の時代錯誤振りが良く見えてくる。

 

先ず、吉本興業の異常さは、役員会を見れば分かりやすい。

会長、社長をはじめ、主要な取締役は、悉くダウンタウンのマネージャーを経験しているのだ。

無論、実力者会長や社長によって役員が選ばれる普通の企業でも、実力者の出身母体や、仲良しグループのメンバーからの役員が多くなる傾向は強い。

しかしそれが極端に偏ると、必ず反主流派の不満が強くなり、権力闘争が勃発するので、企業全体の落ち着きがなくなる。

山口組が六代目組長の母体、名古屋弘道会出身者ばかりを抜擢したために、分裂したのと同じだ。

よって通常は、実力者は反主流派に対してもそれなりのポジションを用意し、ガス抜きを図っている。

 

そんな観点から吉本興業を見ると、主流派として住み心地の良いダウンタウンに対して、加藤たちは、明らかに冷や飯を食わされていると思ってきたはずだ。

加藤にすれば、極楽とんぼの相方、山本圭壱は、不祥事から10年経過しても、吉本興業から復帰許可が出ない。

加藤が取締役全員の更迭を求めるのは、彼らが極端にダウンタウン派で占められているからであり、自分たちの意見がほとんど聞いてもらえない不満が、我慢の限界を超えたからに他ならない。

 

一方の吉本興業から見れば、本音の部分では「芸人は使い捨ての消耗品」であり、ハングリー精神と才能に富んだ若者さえ大事にすれば、その他大勢は不要なのだ。

吉本興業が、芸人の待遇を改善すれば、芸人の質が高まり、面白い番組が増える保証など、どこにもないのだ。

給料が極端に安く、日々の生活で精いっぱいの若手芸人たちだが、それを乗り越えて栄光の座をつかめば、一気に成功者となる。

これはボクシングジムで、チャンピオンを目指して、アルバイトしながら厳しい練習と減量に耐え、必死に努力しているボクサーにも似ている。

これこそ、吉本興業そのものだ。

 

因みに、吉本興業創設者の吉本セイを礼賛する人もいる。

ドラマの主人公になったほどの伝説的な人物だが、吉本興業の黎明期には、夏の暑い季節には芸人の背中を冷たいタオルで拭いていたことが芸人を大事にしていた美談として紹介されている。

しかし、芸人との間に契約すら存在しない、現在の吉本興業の芸人搾取の構造は、この吉本セイによって作り出されたものだ。

現経営者たちが、このシステムでは今の時代にそぐわないと考えても、そうは簡単に変えることができないほど、吉本興業のDNAになっている。

現在の経営陣は、吉本興業創立者の縛りから抜け出せないまま、芸人の使い捨てを繰り返しているのだ。

世の中にお笑いを提供する吉本興業にとっては、今のシステムを変えることはできないし、吉本興業のビジネスモデルは、「デビューの場所は与えるから、後は自分の努力で成功しろ」でしかない。

 

 

加藤浩次は、労働組合の委員長的立場で、芸人の待遇改善を要求している。

彼の芸人としての実績からは、仮に談判決裂しても、食い扶持に困ることはない。

しかし他の若手にとっては、吉本興業の問題点は分かりながらも、果たして吉本から離れて自活できるのかの自信がない。

そして彼らを受け入れる企業があったとしても、そこで芸人として成功する保証などない。

芸人たちが踏み込んだ世界は、そんな実力社会なので、今更「給料が安い」とか、「立場が不安定」などと、泣き言を言うのはおかしい。

芸人の職場に、常識的な価値観を求めるのは筋違いだ。