昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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フェアについて

フェア(Fair)という英語は日本語に訳せないのではないだろうか?
「フェアに行こう」とか「フェアプレイ」とか、日本で使われる「フェア」はズルをしない様な意味合いである。

しかし、英語本来の意味はどうも違うような気がする。
外国で使われる「フェア」は、「違いを違いとして認める」事を意味している。
例えば、努力し成果を上げた人は、そうでない人に比べ給料が高いのは当たり前。これがフェア!
沢山のものを購入する人は、少なくしか買わない人より厚遇を受けて当たり前。これがフェア!
日本では差別してはいけないから、全員平等がフェアだが、外国(特にアメリカ)では、理由が明白なら差が発生するのがフェア。
よって、外国では予算目標を達成した会社経営者は、目の玉が飛び出るような高給を貰うが、これはフェアに評価された結果として全員が受け止めている。

我が日本ではこうは行かない。
一時、銀行が経営不振に陥り国からの支援が必要だった時、国民全員が憤ったのは銀行員の給料の高さへのブーイングだった。
役人に対しても天下り反対の声が多いが、これも都度、退職金を貰う事への僻みやっかみの感情が根底にある。

日本人は、厳しい生存競争で勝ち負けが発生する事を快く思わない。
飛びぬけた人を嫌うし、全体の調和を重要視するから、天才肌の人には居心地が悪い。
コイズミ政権の負の遺産への攻撃として最近頻繁に使われる「格差是正」は、まさに日本人ならではの発想である。
こんな環境下では、フェアに振舞うというと、人様に嫌われないように出すぎず遅れずの無難な生き方になってしまう。
グローバル社会では全く違う事が正義となっている。
どちらが正しいかは個人の主観による。
但し、国際社会で生きていく為には、海外で使われるフェアの概念を理解しなければならない。