昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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通夜、告別式

先の三連休は、姉の通夜、告別式に参列する事になった。
通夜は土曜日の18時から。
告別式が日曜日午前11時からなので、我が家から片道二時間半の距離を忙しく往復した。

遺族の経済的事情から、読経もないし、戒名もない。
葬儀には付き物の豪華な生花も、普通なら延々と続く弔電の披露もない。
エンバーミング加工された遺体は、まるで眠っているようだ。
近親者だけの家族葬の積りだったが、近所の知り合いが10名「是非とも」と参列を希望してきて、出席者数は合計30人程。
その全員が、お人好しで世話好きだった姉の人柄を偲びながら、故人への思いと逸話を語り、焼香するだけ。
しかしその方が姉の人柄が良く分かり、一人一人の話で涙を誘われ、却って故人を惜しむ気持ちが強くなる。
最近涙もろくなっている僕は、この日は絶対に泣かないと心に誓って挨拶に立った。
しかし話し始めた途端、姉との間の様々な出来事が浮かんできて絶句。
途中から、真面に喋れなくなってしまった。

最後に、17歳を頭に、孫四人が、お祖母ちゃんへの感謝の思いを述べる。
特に三番目の小学五年生のやんちゃ坊主は、最後は涙で言葉にならない、
腕でごしごしと涙を拭きながら一所懸命に言葉を探すが、嗚咽を押し殺すのが精一杯になってしまった。
最年少、小学一年生の女の子は、不慣れの所為もあって立ちすくんでいる。
母親がアシストして、やっとの事で「お祖母ちゃんがいないと寂しいです」と、か細い声で話し終えた。

祭壇には、生前の姉と孫たちのスナップショットが並んでいる。
その写真撮影から数年経過した遺影の前の孫たちは、明らかにそれぞれに成長している。
姉が生きていれば、本当に目を細めて見つめるに違いない。
姉が一番可愛がっていた孫たちのスピーチを最後に、通夜はお開きとなった。

翌日は告別式。
司会を買って出た兄が、「通夜で枯れるほどの涙を出したので、今日の告別式は明るく故人を送り出したい」と切り出す。
焼香の後は、故人の思い出話に花が咲き、13時30分に出棺
30分離れた火葬場は、昔の遺体焼却場のイメージはない。
地方公務員の作業員が、マニュアル通りに事を進め、すぐに荼毘に付す手続きが始まる。
昔の火葬場は、石油で燃やす為に、臭いや煙が近隣の迷惑になっていたが、今はコンピューターが燃焼制御する火葬炉方式なので、煙も出ない。
煙突から立ち上る煙と共に、死者をあの世に送り出す気分になっていた時代を知る人間には、最近の高度に機械化された斎場では、感傷にふける事もない。

焼却に要する時間も短縮されているようで、一時間半後には納骨が始まった。
これも昔は、人間の形をした骨から骨壺に移す作業だったが、今は最初からちょうど骨壺にぴったりに骨の量が調整されている。
骨壺の蓋を閉じると、すぐに帰りのバスが準備されている。
二日間も経過すると、故人への思いもマンネリ気味で、バスの中の孫たちは大声で燥ぎまわる。
こうして悲しみを乗り越え、故人がいなくなった生活に対して、心の準備を始めているのだろう。

今や、何もなければ、兄弟が集まる事はほとんどない。
姉の死は悲しい事だが、結果としてこの二日間は、残った兄弟、姉妹、その伴侶たちの近況報告の場になった。