昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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人が嘘をつく時

伊達に60年以上、馬齢を重ねたわけではない。
それなりに、嬉しかった事、悲しかった事、良かった事、悪かった事を経験した。
他人に寄りかかって生きてきたし、他人と折り合いが悪く、辛い思いをした事もある。

様々な人と出会い、様々な場面と遭遇するに従い、知らないうちに月旦の術も身に着けてきた。
そしてその結果、多くの人が嘘をつく時に、幾ばくかの後ろめたさを感じていると思い至った。
生来の嘘つきならともかく、我々が日常的に付き合う人、あるいは付き合わないまでも、普通に接触する人たちの大半は、平然と嘘をつくだけのワルではない。
やはり身を守る為、あるいは組織を守る為に、已むに已まれず嘘をついてしまうものだ。
その為、所作振舞いの中に、どうしても無理している姿が現れてしまう。
これは我々レベルの一般市民でも、功成り名を遂げた有名人でも大差ない。
特に画面や文章には、必死になって隠そうとしても隠し果せない部分が滲み出てしまう。
そんな場面を、連続して見聞きした。

一人目は、CHAGE AND ASKAの「飛鳥涼君」。
二か月前の週刊文春が、飛鳥涼覚醒剤疑惑を書きたてた、
その筋の人と付き合い、覚醒剤におぼれていると言うのだからただ事ではない。
書かれている通りなら、彼は犯罪者になり、歌手生命が危うい程度では済まない。
この手の悪口は有名税と割り切るにしても、内容が具体的でシリアス過ぎる。
事実ではないのなら、当然週刊文春を名誉棄損で訴え、身の潔白を晴らすものと思っていたら、「無視する」事に決めたらしい。
「音楽関係者と言って近づいてきた人がいた」「怪しい言動が見えたため、すぐに関係を断ち切りました」とか、法的手段については「そのひとつひとつが時間の無駄で無意味」として「この悔しさは、音楽で取り払ってみせると決心いたしました」とは、一般論だが、大半が嘘をつく時の常套句でしかない。
身に降りかかった覚醒剤疑惑は、音楽で取り払えるものではなく、裁判で事の真偽を争わなければならない。
それを敢えて回避すると、飛鳥君の胡散臭さは払拭できない。

もう一人は、オリックス宮内義彦会長。
こちらは、日経新聞に自慢タラタラの「私の履歴書」を執筆中だが、28日(土曜)に、宮内自身の汚点の一つに違いない「村上ファンド」との付き合いが書かれた。
村上世彰との出会いから彼を支援するに至る動機、少額にとどめたとは言いながら彼への投資を説明しているが、しかし彼との付合いも、沢山いる支援者の中の一人にすぎないと言いたいようだ。
しかしそんな程度のお付き合いなら、衆議院への参考人招致が噂されるはずがない。
彼自身が必死の工作で、参考人招致を避けたのは想像に難くない。
もしも、村上世彰の考え方が今後の日本の取るべき道なら、たとえ一時的に逆風が吹いても、必ず彼には再起の道が開かれる。
しかし残念ながら、例え宮内の言う通り「じっくりと事を進めて」いても、村上世彰の手法が世間で認知される事はなかった。
もの言う株主」として注目され、株を買い占め、短期利益を上げる事で株価を高値で売り抜けて儲けても、海外では賞賛されるかもしれないが、日本では決して評価されないからだ。
宮内義彦は、そんな村上世彰と、彼の掲げた新たな資本主義の在り方に共鳴したからこそ彼を支援したはずだ。
であれば、村上世彰が一時的に頓挫したとしても、宮内義彦は彼を支援し続けるのが筋だろう。
しかし「私の履歴書」では、明らかに村上世彰に距離を置き、「村上ファンドをどう総括するか」と、他人事のように開き直っている。
ここにも、日本経済団体連合会副議長まで務めた宮内義彦の嘘と言い訳を感じ、やはり胡散臭さが紛々と漂ってくる。

特に大半の情報が公開されている有名人は、嘘をついて誤魔化そうとしても語るほどに地が見えてしまう。
飛鳥涼宮内義彦ともあろう、一見大物と言われている連中でも、実は世間体を気にする余り、嘘をついてでも何とか自分を正当化し、少しでも安心感に浸りたい小心者なのだろう。