昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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年寄りは自立しなければ

会社員として頑張っていたオトコたちの多くが、実はリタイア後は妻がいないと何もできない。
そんな年寄りを、世間では「濡れ落ち葉族」と揶揄する。
 
僕も御多分に漏れず、妻からは濡れ落ち葉族扱いされている。
そして厳しく、「少しは自立しないと」と諭される。
そんな苦言を浴びて、せめて何かの役に立ちたいと思い立っても、家事に関してまるで知識がない。
せめて妻の買い物について行って、荷物運び役に勤しむことくらいしか思い当たらない。
スーパーには、同じ境遇のオトコ年寄りドモが、嫁の後をウロウロと蠢いている。
そんな場面を見ると、「蝦蟇の油」と一緒で、我が身のみすぼらしさが彷彿として来る。
哀れなモノだ。
 
もっとも本人は、別段妻に頼り切って、怠惰に生きている積りはない。
確かに、何らかのプレッシャーなどはなくなった。
こちらが仕事をやめた時点で、大半の仕事仲間たちとは没交渉になっている。
早朝起きる必要もないし、やり遂げないといけない課題も目標もない。
これでもその昔はそれなりの企業戦士だったのに、今やどこを探しても、往時の鋭い眼光と感性は消え失せている。
一方の妻は、それまでに培った地域コミュニティとのお付き合いがあるし、近所にも友達が多い。
だから妻から見れば、一日中やることがない、無気力極まりない宿六亭主に見えるようだ。
 
しかし、人間至る所に青山あり!
気の持ち方一つで、暇な人生も楽しむことができる。
その最たるものが、自己研鑽だ。
僕の場合、今のところ、この自己研鑽の目標は、一つはウォーキングで健康を維持することであり、もう一つは英会話のスキルをアップすることだ。
両方とも、誰かから強制されているものではない。
進捗状況のアンパイアは、自分自身だ。
それだけに、サボりたい時はサボり放題なのだが、そんな生き方は自分の矜持が許さない。
半ば以上意地になって、毎日研鑽を重ねている。
 
僕の住む町は東京の衛星都市の一つだが、人口は10万人程度の田舎だ。
それでも会社員だった時は、そんなちっぽけな町ですら、散策する余裕はなかった。
しかし今では、あちこちの名所旧跡を見て回る余裕がある。
意外な観光地を見つけると、新たな知識と関心が増え、地域への愛着も深まる。
だから妻から、「少しは出掛けたら」とか「友達に会ったら」などと言われるのは、甚だ不愉快なお節介でしかなく、「全く余計なお世話!」なのだ。
 
仕事を離れると、社会に貢献することはできない。
確かに年金生活者は、現役で働いている人たちへの寄生虫とも考えられる。
だからと言って、年寄りがいつまでも頑張ると、その分若い連中の仕事を奪ってしまう。
老兵には老兵の生き方がある。
惨めッたらしく遠慮して、若者に遜ったり、阿る必要はない。


不必要に謙虚にならず、少々厚かましいくらいの開き直りで、残り少ない余生を過ごしていく。
これが僕の、老後の精神的自立の道。
『何か文句あるか?!』だ。