武漢肺炎ウィルスが、日本から消滅する日はいつになるのか?
そんな問いに、「ウィルスが完全にゼロになることはない」と答える専門家がいた。
仮にワクチンが見つかっても、人類は武漢ウィルスを絶滅させることは不可能らしい。
嫌なヤツとの共存共生を余儀なくされるとは迷惑千万で、発生源であり、且つ世界パンデミックの原因を作った中国に、腹が立って仕方がない。
そんな長期に亘る武漢肺炎の影響が、実は我が家周辺にも及んでいる。
近所の、超マイナー大学の休講が、未だに続いているのだ。
この3月、政府主導の学校閉鎖要請で、主学校から大学まで全ての学校が閉鎖された。
当時は野党が「横暴だ」「根拠がない」と大文句を垂れていたが、最近頻発している学校クラスターの発生状況を見れば、この措置は実に懸命な判断だった。
その後、6月には緊急事態が解除され、徐々に学校も再開されたので、夏休みを短縮するなどの対応で、授業も正常化されていると思っていた。
・今年入学の大学生は、まだ一度もクラスメイトにあったことがない
・これで授業料全額支払いは不条理
・学生から授業料減額要求が発生しているのも宜なるかな
みたいな記事が載った。
そこで近所の三流大学のホームページを見たところ、
・当初は9月23日までの予定だった遠隔授業だが
・武漢肺炎(大学曰く新型コロナウィルス)の影響で後期全てを遠隔授業とする
と発表していた。
我が家には、その大学に通う子供がいるわけではないので、遠隔授業を続けるのは一向に構わない。
しかし、大学のその校舎閉鎖措置は、我が家の周辺には重大な影響をもたらす。
遠隔授業だから、大半の学生は自宅に帰っている。
ご多分に漏れずこの大学も学生不足で、中国からの留学生確保で凌いでいる状況だ。
そんな中国人は、当然ながら帰国しているし、あんな武漢肺炎発祥の地からの再来日など、地元民としても御免蒙りたい。
とにかく、そんなこんなで学生がいないのだ。
学生がいないのは、悪いことばかりではない。
昼夜構わずギャーギャー騒ぐ連中がいないので、町の静けさを取り戻すことができる。
しかし経済的には。大ピンチなのだ。
何せ学生がいなくなると、町全体でも5%近い人口減だが、大学周辺に限れば20%、五人に一人が消えてしまい、その分の需要が消滅したことになる。
食堂やコンビニ、スーパー、床屋の売り上げまで、その分なくなっているし、今の予定では回復する目処も立たない。
さりとて学校側にしても、慌てて授業を再開してクラスターでも発生すれば、来年以降の学生募集に致命的悪影響が発生する。
二進も三進もいかない状況なのだ。
実は、武漢肺炎以前に、大学経営そのものが大ピンチに陥っている。
都心の有名、人気私立校でもない限り、少子化のせいで定員の学生が集まらない。
窮余の一策で、大学は留学生勧誘と、地元老人の勉強会で稼働率維持を図っている。
年寄りは大した戦力にならないが、特に中国からの留学生はドル箱だ。
大学にとっては、中国人留学生が学校に来てくれればありがたいので、彼らが孔子学園でスパイ活動をすることなんかに構っちゃいられないのが実態だ。
何が何でも、学生を集めることで精いっぱいなのだ。
一方の留学生にとって、超マイナー大学への留学経験など、何の役に立つのだろう。
少なくとも中国国内で、「自分は〇〇大学を卒業した」などと自慢しても、「そんな大学、聞いたことナイデ」で終わるはずだ。
中国政府と留学生の共通の目的は、単に留学経験で箔をつけることではなく、やはり様々な日本国内に浸透し、中国に必要な情報を吸い上げることしかありえない。
だから、成績優秀な学生は有名大学で、ソコソコの連中は名も知れぬ地方大学で、各々が中国共産党に忠誠を誓った諜報活動をしていると考えた方が良い。
ごく一部の確信犯を除き、恐らく留学生の大半は、筋金入りのスパイではない。
しかし、彼らが学園生活の中で付き合う日本人や、日常的に使うスマホなどから、中国共産党に情報が集中するシステムの中で、学園生活を送っているに違いない。
我々の周りにいるごく普通の中国人に何の悪気がなくても、彼らを通して、知らず知らずに我々の情報や生活習慣が、中国に流れているかもしれないのだ。
アメリカでは、そんな中国からの留学生が持つリスクに、いち早く気が付き、大学が無差別に中国留学生を増やすことに規制をかけている。
同じことが日本でも起きれば、我が地元の超三流校など真っ先に消え去る運命だ。
それでも、日本も中国共産党に対して、アメリカ同様の危機感を持つべきだ。
しかし学校任せでは、一切の自浄作用は働かない。
そもそも、不要な大学が多すぎるから、余計な生き残り策を講じる。
そんな大学の整理や、既に日本に潜んでいるスパイ組織の摘発など、スパイ活動防止法の法的整備を急がないといけない。
とんでもない災厄だった武漢肺炎だが、「地元経済か、日本国家の安全か?」の、切羽詰まった問題を突きつける切っ掛けにはなった。