掛りつけの病院に出かけた嫁が、プリプリ怒って帰宅した。
何でも病院で、実に不愉快なことがあったらしい。
病院は、武漢肺炎対策で外出自粛要請が出ている時期にあっても、体調の悪い人しか来ない場所なので、誰からも毛嫌いされる。
しかし持病のある人は、薬を処方して貰うために、最低二か月に一度はやむを得ず、病院に通わないといけない。
嫌々気分で出かけた病院の玄関前に、マスク姿の三人の女性が屯していたらしい。
嫁にすれば、病院内の待合室が患者でいっぱいなので、外で三密を避けているのか、それとも列の最後尾で、受付の順番待ちなのか分からない。
そこで一番後ろにいた女性に、「受付待ちですか?」と質問したらしい。
こんなご時世では、列も間をおいて並ぶように指導されているので、順番待ちの列が屋外まで長くなることはよくある。
並ぶ位置を確認したい嫁にすれば、ここまでは、ごく当たり前の行動だ。
ところが、質問された女性は、一瞥しただけで、プイとソッポを向いたらしいのだ。
知らない人と話すと、武漢ウィルスに感染すると心配しての行動だろうし、自分に話しかけるなとの意思表示だろうが、無視された方の嫁は気分が悪い。
簡潔でもいいから返事をするのが、社会人としての最低限のマナーだろう。
まるでウィルス扱いされたと、腹を立てていた。
世の中には、こんな態度をとる女性が増えているらしい。
別に女性だけでなく、男だって同じようなもので、宅配便配達担当者と顔を会わせたくないから、荷物の直接受け取りを拒否する輩までいると言う。
武漢ウィルス感染を恐れるあまり、自分の周囲に存在する、近所の住人も出入り業者も、全員に対して不信感の塊になってしまっているのだ。
しかしよくよく考えて欲しい。
敵は、武漢ウィルスなのだ。
人々は、助け合って、武漢肺炎に立ち向かわなければならないのだ。
それを、自分の身を守ることだけに汲々として、ご近所さんも日頃お世話になっている人も信用できなくなってしまった風潮は危険だ。
何故人々が、こんな極端な行動に走るのか?
それは偏に、武漢ウィルスへの恐怖心からだ。
武漢肺炎に感染すると、死ぬかもしれない。
そんな思いが募って、過度な自己防衛本能が働いてしまっているのだ。
では何故、人々がこれほどまでに武漢ウィルスを、恐怖の対象と考えているのか?
それはマスコミが、「これでもか!」とばかりに、連日に亘って武漢肺炎の脅威を、おどろおどろしく伝えているからだ。
現在のマスコミ報道は、毎日の武漢肺炎感染者の増加を伝え、しかも症状が急速に悪化して死んだ患者を紹介している。
また日本ではPCR検査数が少なく、実は陽性患者が溢れていると繰り返している。
勿論良識的なマスコミもあって、油断大敵なので、ここで国民の警戒心を緩ませないとの善意があるのかもしれない。
だが、普通に見れば、
・日本の防疫体制は失敗だった
・だから武漢肺炎の脅威は残っている
・このままでは、数十万人の死者が出る
と、日本国民を脅し上げ、この際、政権交代に誘導しようとしているとしか思えない。
本来のマスコミの役割は、武漢肺炎のパンデミックを防ぐために、全国民への自粛協力の啓蒙であり、国家を挙げて武漢肺炎と戦う世論づくりのはずだ。
しかし現実は、政府が緊急事態を宣言すれば遅かった、延長を決めれば国民の不満が募る、マスクを配れば無駄遣いと、とにかくやること成すことイチャモンばかりだ。
マスコミは、何でもいいからと、与党への攻撃材料を探している積りかもしれない。
だが、こんな報道姿勢と情報が、武漢肺炎を過度に恐れた国民が、ご近所さんすら信用できない社会環境を作ってしまった。
・自分が感染しないために三密を避ける
・感染して、隣近所に迷惑をかけない
ことに尽きるが、もう一つ、近隣の住民の良識を期待しながら、協力して社会生活を営むことも重要なことなのだ。
日本には昔から隣組制度があったし、今でも自治会活動が続いている。
しかし武漢ウィルスと日本のマスコミは、そんな地域社会の素晴らしい関係をも破壊する、実に罪深い存在だ。