昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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絶対に、無条件でマスコミを信じてはいけない。

活字になると本当の事と思ってしまう。
テレビからの情報も本当と思ってしまう。
多くの人は、マスコミからの情報発信を正しいものしてと受けとけ、自分の判断基準としている。

しかし、自分の周辺が記事になると、マスコミの出鱈目さがよく分かる。
たとえば、自分の所属する事業に関する記事。
あるいは、自分が良く知っている人の人物像。
「何々が好調で収益アップ」だの、「是々の商品は、将来性抜群」とか、新製品や新規事業について様々の記事やニュースが流されるが、実態を知っていると、「馬鹿言うな!」となってしまう。
組織のリーダーだってそうで、「誰それさんのリーダーシップは抜群。彼の元、全員一丸となって云々」とかの提灯記事で、日本の中でも傑出したリーダー像が描き出されたりするが、その人と一緒に仕事をしている人に聞くと、実態はクウェスチョンマークのつくケースが結構多い。

テレビの持ち上げ番組をそうだ。
番組で、やらせ司会者と解説者がしかめっ面してモットもらしく、製品の素晴らしさ、開発がいかに困難だったか等を訴えると、「なるほどそうか」とついつい信じてしまうが、これは用意周到に何度もリハーサルを繰り返し、且つ編集を繰り返し、都合の悪いところをカットしまくった内容であり、善良な我々をだますように、面白おかしく作られたものなのである。
ほんのチョット前に、高校ラクビーを扱ったNHKのプロジェクトXでも、やらせが問題になった。こんなのは氷山の一角、もっと言えば、テレビ番組は全てやらせである。

今、大問題となっている元ライブドア社長のことを振り返れば、いかに出鱈目が罷り通っていたのかよく分かる。
問題発覚前のマスコミの取り上げ方は「天才」「革命児」「改革派」と、今や気恥ずかしい誉め言葉が並んでいたはずだ。

記事や映像は不思議な魔力を持っているので、批判的観点が欠落すると、全く洗脳状態となり、むしろ思考を停止し、全面的に情報を信用するほうが楽になってしまう。
マスコミ垂れ流し情報が過多になり、受け手の客観的判断がなくなってしまうと、今度の冬季オリンピックで、「日本はいくつメダルを取れるのかな?」等を楽しみに夜更かしする羽目になる。
ご存知のように、オリンピックでの日本勢は惨憺たる状況であり、「やれ税金の無駄使い」とか、「もっと選手は責任と自覚を」と大ブーイングが起きているが、マスコミにあおられる事なく冷静に今回の代表団の実力を判断していたら、「なるほどこんなものかな」程度の想定内の出来事である。

また、マスコミに持て囃された政治家ほど、実は胡散臭く、マスコミに猛烈に攻撃された政治家ほど、後になってみれば、立派な仕事を残している。
大体、大衆なんて、「税金は払いたくないが、福祉は享受したい」「消費税アップは絶対ノーだが、年金は早くから貰いたい」等と、極めて自分勝手に主張する存在なのだ。
そんな大衆から喝采を浴び、賛同される政策などありえない。
「国民に痛みを」なんて、言葉で分かっていても、実際に痛みを感じると一斉に反発が始まる。
この時こそがマスコミの出番で、「そうだそうだ」と為政者を攻撃し、われこそ大衆の味方とばかりのエセ正論をばら撒く。
マスコミの記者はいつも弱いもの、正義の味方で、世の中の不正を絶つみたいな月光仮面を気取っているが、この記者というやつがまた曲者で、大体において先入観、固定観念の権化みたいなのが多く、自分のシナリオに誘導しながら記事を書くので必ずしも実態を表さないものが出来上がってしまう。
やらせ記事だのやらせ番組などは絶対になくなることはない。
なんとならば、視聴率や販売部数を上げるためには、やらせで大衆を煽り立てるのが絶対に必要だからである。

ついでだから書くが、テレビのコメンテーターも無責任人種そのものだ。
昨日まで持ち上げていた人物が犯罪者だったとわかると、今度は一転して「法律違反は駄目だ」と攻撃する側に回る。
自分が褒め称えた為に、多くの人を惑わし、果ては不幸にしたかもしれないことへの反省は全く出てこない。
コイズミ首相だって、「自分が誉めた為にライブドアの株価が上がったとは思わない。因果関係はわからない」などの言い訳をするほどだから、チンピラと同じコメンテーターに対して、キチンとした自己責任を問うても無駄である事は分かっている。
しかし、本来なら切腹か、自ら幽閉蟄居を申し出、長期に活動を停止すべき事態だと思われても、彼等からは、全くそのような雰囲気は伝わってこない。(ネッ!タハラソーイチローさん、テリーイトーさん)
こんな恥知らず連中が知識人と言われ、テレビを通じて世論操作し、自分の意見を我々に押し付けてきている。

僕たちは、自分で自分を守らなければならない。
これは、マスコミの情報公害への自己防衛も意味する。
マスコミの手前勝手な記事や番組を批判する気持ちと能力を身につけない限り、彼等発の情報に踊らされ、選択肢をミスし、とんでもない不幸を背負い込む事になる。

絶対に、無条件でマスコミを信じてはいけない。