昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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人を評価する事の難しさ

最近感じることに、人の評価の難しさがある。

ほぼ全員が自分に対しては甘い評価となるが、自己評価は定量的に言えば、実態の五割増し以上とも言われる。
一方他人は、その人に遠慮会釈がない場合、必要以上に厳しい評価をしがちである。
結果として、「自分はこんなはずではない、もっといいはずだ」との思いと、「あんたなんてこんな程度だろう」との評価がぶつかり合う事になる。
人事評価はその最たるもので、大方の場合「こんなに働いたのにこの程度の評価か」と頭に来ることになる。

僕自身の経験で言えば、努力の結果避けられた危機への評価が難しい。
危機に際して何も手を打たなかったので、とんでもない事態が発生すれば事の顛末は分かりやすいが、必死に努力した結果、ある危機が避けられた事の証明は難しい。
危機管理の見地からは、そこまでを見極めて評価すべきなのだろうが、本当の意味で発生しなかった事の因果関係は誰にも分からないものだ。

人の評価をする場合、煌びやかな実績は分かりやすいが、縁の下の力持ちをじっと見ている人は少ない。
誰もが満足する評価結果はありえない。
また、昨今流行した成果主義も、必ずしも決定的手法として固まっているわけではない。
むしろ、言いだしっぺの富士通内部告発が発生するなど、その弊害すら指摘されている。

毎年毎年サラリーマン社会では、昇給や昇格で何らかの評価を必要としている。
そのたびに、無理やりに順番をつけざるを得ない立場の人間は、何を根拠に査定をするのだろう。
評価の究極は、好き嫌いに尽きるのではないだろうか?