昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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グローバル化はアメリカの陰謀ではないだろうか?

日本におけるグローバル時代到来は、アメリカの陰謀の結果ではないかと考えてみた。

従来型日本のビジネスシステムは、国際的観点から見ると大変分かりにくく、アメリカ企業の日本参入の障壁となり、評判が悪かった。
日本では、何となく皆が助け合い、無益な競争を避ける風潮が一般的だったからだ。

例えば、ある町で複数の同業者がいた場合。
各々が朝10時から夕方6時までの営業していた時に、一軒だけが商売っ気丸出しで、 朝7時から夜11時まで営業時間を拡大すると、その店だけが顧客を独占してしまうので、共存共栄の為には、「出すぎず遅れず」で、同じように営業するとの「暗黙の掟」みたいなものが存在していた。

これは、アメリカ型ビジネスとは明らかに一線を画している。

アメリカ型ビジネスでは、妥協なき競争社会を「透明性の確保」とか、「努力した人が報われる社会」とか、さすがに一応オブラートに包んだ言い方をしている。
しかし、実態は、「格差やむなし」や「弱肉強食」なる生々しい競争社会そのものであり、こうなれば、巨大資本のアメリカ企業が負けるはずがないとの自信と確信が背景にある。

一方日本では、長年にわたり農耕民族的横並びが基本原則であり、「乏しきを分ち合う」助け合い社会だった。
今では諸悪の根源のように扱われる「談合」も、一昔前の日本では当たり前だった。
そのため、最近になって急に「談合はダメ!」と行政指導されても、なかなか簡単には脱却できず、多くの企業で不祥事を頻発してしまっている。

しかし、アメリカ型競争文化は本当に正しいのだろうか?
日本人は、何百年も持たれ合い文化の中で生きてきたのであり、競争至上主義の考えはこの10年ほどの、ごくごく短期的な文化でしかない。
このまま、日本中で「強いことが良い事」とか、「成功した人は努力した人」なる勝利至上主義がはびこると、そのうち、全ての産業をアメリガ企業に独占され、わずかの日本人だけに富が偏在する社会になってしまう事を懸念する。

本当は、アメリカに騙される事なく、日本古来のビジネスシステムを維持することが我々日本人にとっては正しい選択ではないだろうか?
勝ち誇ったような、アメリカ企業の雄ジャック・ウェルチの本を読むにつけ、そう思えてならない。