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タリバンが韓国人牧師を処刑

韓国人牧師がタリバンによって処刑された。
痛ましい事件としか言いようがない。
更に22名の人質が残っている。無事の解放を望む。

しかし、韓国人の集団は、あの危険なアフガニスタンに何を目的に行ったのだろうか?

彼等は敬虔なキリスト教徒の集団で、布教と奉仕活動に熱心だったらしい。
集団で、イスラム国家であり、且つ政治的に不安定なアフガニスタンへ向かったのも、おそらくは布教と奉仕目的だと思われる。
出発前に、全員が笑顔笑顔で記念写真を撮っているところを見れば、彼等が強い使命感を持っていることと、事態を全く悲観していなかったことも想像に難くない。
日本でも、キリスト教を布教する為に、宣教師達が、死をも厭わず献身的に努力した歴史がある。
今回も、おそらく「神を信じていれば、必ず思いが伝わる」と確信していたに違いない。

しかし、アフガニスタンイスラム教徒の国だ。
しかも、今でこそ政権を追われたとはいえ、タリバンなるイスラム原理主義者が支配していた国でもある。
今回は、偶々誘拐されたと見られているが、自ら危険地帯に出向いたのだから、キリスト教徒が、奉仕活動をするにはたいへん危険である事は分っていたはずだが、どんなに異教徒が支配している危険な地でも、「絶対にイエス様のご加護がある」と信じていたはずだ。

ややこしいのは、誘拐した側のタリバンも「アラーの神のご加護」を固く信じていることだ。
しかも、アフガニスタンは、政権を追われたタリバンにとって、復権の為の戦場となっている。
まさに生きるか死ぬか、敵か味方かの二者択一しかない。
そこに、違う神様の基準を持ち込み、誠意があれば通じると思ってみても、タリバンは敵とみなしてしまう。
そして、彼等が信じている神様は、「敵は殺してもかまわない」と教えているのだろう。

僕には、キリスト教徒の韓国人集団も、イスラム教徒のタリバンも、根っこは全く同じ精神構造をしていると思う。
キリスト教徒は、神の導きでアフガニスタンで布教活動を行い、キリスト教の素晴らしさを分かってもらいたいと思っているし、タリバンは、アラーの導きで異教徒を排撃し、アフガニスタンを素晴らしいイスラム国家に作り上げたい。

僕は、単純に韓国人キリスト教徒達の「自己責任」を問うても無意味だと思う。
僕のような無宗教な人間には、神様を信じている人達の使命感や、人生観は全く理解できない。
ただ、彼等が信じる神様の有難いお導きで、事態が解決に向かう事を願っている。