昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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メイド・イン・ジャパンと日本神道

 

今でこそ高品質の代名詞となった「Made in Japanメイド・イン・ジャパン」!

世界中で「日本製品なら品質トラブルは起きない」と信頼されている。

 

しかし僕は、日本製品が「安かろう悪かろう」の、粗悪品扱いされていた時期を知っている。

昔は、「上等舶来」の言葉があったことを、ご存知の方もいるだろう。

品質は舶来品、海外製が優っているとの考えだ。

日本品なのに「Made in USA」を謡った品物が摘発された時、メーカーが「大分県宇佐市で作ったから嘘ではない」と強弁したなどの、笑えない話すらあった。

 

今では誰も信じないだろうが、「Made in USA」の製品こそが憧れで、車はアメ車で家電製品も海外品は信頼のシンボルだった。

キャデラックはゴージャス外車そのもので、金持ちは挙ってこの車に乗りたがった。

僕がゴルフを始めたころは、クラブの御三家と言えばマグレガー、スポルディング、ウィルソンで、ゴルファーの憧れは、このどれかを所有することだった。

しかし今や、車と言えばTOYOTAゴルフクラブはMIZUNOやHONMA。

信頼の対象は全部、日本製に変わった。

これは日本人が、必死に品質改善の努力を重ねた結果なのだが、実は世界中でこんなことを成し遂げる民族は、日本人をおいて他にいない。

 

これは世界中が大混乱に陥った武漢肺炎対策でも然りだ。

一時期の日本政府は、武漢肺炎に対して無為無策だった。

しかし、そんなだらしない政府対応なのに、日本では感染者も急増はしなかったし、何より世界各国に比べて圧倒的に死者数が少なかった。

日本政府の武漢肺炎対策は世界中で危惧されたが、そんな心配をする同じ人たちが、日本人が武漢肺炎を抑え込んでいることを訝しがった。

 

実は、品質改善も武漢肺炎への個別対応も、根っこは同じことだ。

それは日本人の中には、日本人として生まれ落ちた瞬間から「日本神道」の考えが浸み込まれることだ。

日本人で、自分が日本神道の考えに染まっていると自覚している人はいない。

ヒダリ巻きの中には、国家神道思想が日本を戦争に導いたと思い込み、神道とその象徴の天皇に反発する連中も多い。

しかしそんなヒダリ巻きでさえ、実は日本神道の隠れた信者なのだ。

これだけ共産主義が破綻しても尚、今以てマルキストを自称する人を知っているが、その人は、たかがスポーツ新聞でも、一番上のモノではなく下から抜き取って買う。

極力他人との接触を避けるために、電車の席も一番端っこに座りたがる。

神道は他宗教との融和性も良く、キリスト教徒も仏教徒も、日本人なら同じような行動をとるので、厳密に言えば、神道キリスト教徒や神道仏教徒だ。

 

「触れると穢れる」との考えは日本神道の極意だが、実際に全日本人がこれを信じている。

また日本人は、異物を見つけ排除するのも得意だ。

事の善悪は別だが、子供の頃に周囲と際立って違っていると虐められる。

しかしこの性格は、製品の中の不良品を見つけ出す能力につながる。

横並び主義と非難されることもあるが、同一品質を求める品質改善には有利だ。

 

武漢肺炎対策で効果を発揮したのは、日本人が清潔好きだからとの見解も多い。

通常の挨拶はお辞儀で、握手やハグ、キスの直接接触を嫌う日本人は、マスク着用もさして厭わない。

日本人は、外出から帰れば、うがいと手洗いをするし靴を脱ぐ。

また日本人は、外から見えない部分でも、積極的に磨き、綺麗にする。

 

「お天道様が見ている」意識も、日本人が無意識に神道を信じている表れだ。

店舗の端っこにATM、道路脇には自販機が設置され、そこにはかなりのカネが入っているのに、それを盗もうとする日本人はいない。

電車の網棚に荷物を置いて寝込んでも、その荷物がなくなることはない。

災害が発生し避難所生活を送る緊急事態でも、支援物資を入手する際はおとなしく列を作るし、その列が乱れることはない。

こんなことは日本人には日常的に当たり前だが、世界では決してそうではない。

隙あらばズルをして、モノを盗む習性の外国人には、絶対に信じられないことだ。

 

日本人の精神は、あらゆる場面で神道の影響を強く受けている。

そんな信仰心の持ち主だからこそ、日本の製品は高品質になるし、打って一丸となって武漢肺炎にも立ち向かうことができる。

日本神道は、思想の右、左に関係なく、日本人の心の支えであり、日本が世界に立ち向かう場合の、最強の武器なのだ。

 

敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒はよく聞くが、熱烈な神道イストなど寡聞にして聞かない。

日本神道は、全日本人の生き方の規範となり、影響を与えているのに、誰もその自覚がない。

それほど、血となり肉となり切っている日本神道こそ、日本人のアイデンティティそのものなのだ。