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正体見たり、東国原宮崎県知事!

東国原英夫宮崎県知事の「自分を自民党総裁候補に」発言にブーイングが吹き荒れた。
東国原は、「総裁ではなく、あくまで総裁候補」と抗弁したが、とって付けたような言い訳で、何の事やらわからない。
「ジョークでした」で済んだはずだが、「大真面目」から翌日は「自分に反対するのは抵抗勢力」と、小泉純一郎のサル真似よろしく発言をエスカレートしている。
マスコミをあげて大騒ぎするのは東国原の思惑通りなのだろうが、あまりに身の程知らず発言なので白けてしまう。

最も不可思議なのが、「宮崎の為に国政へ」発言だ。
国政の場は宮崎県の為にあるわけではなく、あくまで日本国を運営するためなので、そんな場に一地方の利益を持ち込まれても大いに困る。
また「民主党が先だったらそっちも考えた」と来ると、「この男、国会議員になる為だったら何でもあり」なのだろう。

そもそも、国民に人気のある政治家は胡散臭いものだ。
政治は、国民から税金を取り立て、国民に様々な規制を課すものなので、本質的に人気が出る事はありえない。
しかしそれでも、国民の非難を覚悟して為すべき政策を推し進めるのが真の政治家の有り姿だ。
昔から大政治家では、在任中はまるで人気がないが、時間の経過とともに業績が見直された人が多い。
国民からの人気をあてにはしていなかった人達だ。

一方人気物の政治家は、全員が薄っぺらいポピュリズム政策を訴える。
国民は、大きな負担もなく楽な生活が出来るかのような錯覚に陥り、熱狂する。
しかし当たり前だが、そんな政治があるはずがなく、極めて短期間で破綻してしまう。
最近では細川政権や、小泉郵政改革などがこの典型だろう。

県知事の場合はやや趣を異にする。
国政とは違い相対比較が可能なので、「隣の県よりも良い」とかの評価で人気が集まる。
東国原が宮崎県名産品のセールスマンとして全国を走り回れば、「良くやってくれている」とうれしくなってくる。
また「本当にやりたい事を中央政府が邪魔する」と訴えれば、「オラが県知事をいじめるな」と同情票が集まる。
だから東国原の支持率が宮崎県で90%を超えているのもあり得る。

しかし、国政となると絶対にこうはいかない。
何をやるにも財源が必要で、地方分権や主権の達成する為にはどこかの予算を削って割り当てなければならない。
ほかにも緊急事態が目白押しなので、地方だけを優先した政策など取れっこない。
県知事は県の代表だから自分の県の事だけを考えればいいのだが、国会議員がこれでは困ってしまう。
そんな国会に、地域の利益実現を標榜して東国原が参入しようとしている。
宮崎県知事は、国会議員になる為の踏み台だったようだ。
こんな権勢欲にまみれた政治家は御免蒙る。

50年以上も日本の政治を司ってきた自由民主党は、政権交代に怯え、空虚な東国原人気に依頼し、更に自滅自壊の方向へ進んでいる。

それにしても、東国原の「自民党さんは、お戦いになる、お覚悟があるか」とか、頻発する「取りくまさせて頂いています」発言は、慇懃無礼で耳につく。