昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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経営者のあり方

会社員として青二才の頃、印象的な経営者を知った。
1973年10月、時あたかも日本中が第一次オイルに襲われ、上を下への大騒ぎ状況下だった。
あらゆる店先から、まずトイレットペーパーと洗剤が買い占められ、続いてあらゆる生活必需品が姿を消してしまった。
それまでは「石油は安くて便利な燃料」と信じ込んでいた人達が、「石油がなくなるかもしれない」との恐怖心に駆られてとった対応は、手当たりしだいの買占め行為だった。

ビジネス界も、初めての経験に右往左往した。
とにかく、何をどうすればいいのかを冷静に見ている人など誰もいない。
日本全体が半狂乱状態。
僕は、新米営業マンとして、一挙に担当製品の50%値上げを達成、部長からお褒めの言葉を頂き、大いに面目を施した積りになっていた。
企業にとっては、調達する事こそ第一で、価格なんて二の次の入れ食い状態。
「はい、いくら」と言えば「OK、それで買った」と、そんな時代だった。
誰もが認める日本のトップエリート集団、石油連盟が「千載一遇のチャンス」と発言して便乗値上げを画策、顰蹙を買ったのもこの時。
結果としては、ゼネラル石油の社長は引責辞任している。

そんな時に、自社の営業に対して、値上げを禁止したオーナー経営者がいた。
彼は小学校しか出ていない。
奥さんとリヤカーを引っ張りながら行商から始めて、ある田舎町でそれなりの会社を興していた。
まるで無学、経験だけを頼りにあらゆる難局を乗り切ってきた彼にとっても、日本全体が慌てふためいたオイルショックは、それまでに経験した事がないほどの規模の災厄だった。
会社の営業からは、「絶好の値上げチャンス」との報告が殺到する。
しかし彼は、「私の経験からして、こんな異常事態が長続きするはずがない。今、調子に乗って動くと、必ず客から反発を招く」と、頑として値上げを許可しない。
僕は、その会社の営業マンが「内の親父は考えが古くて頑固なので儲け損なう」と嘆くのを何度も聞いた。

しかしオイルショックは、将に社長の見通しの通り、わずか三ヶ月で終了。
その後は、会社にも家庭にも、在庫の山、山、山。
荷動きが急激に鈍化してしまった。
横着な態度で値上げした先からは、全く注文が来なくなる。
その後30年経っても、「あの時にお宅の会社の態度は」と恨み言を言われたほどだから、如何にその時の対応の爪痕が深かったかが分かろう物だ。
しかし彼の会社は、社長方針のお陰で、大いに評判が上がり、オイルショック消滅後も業績を伸ばし続けた。

学校の成績が良いから、商売がうまいわけではない。
現実は、全部を理屈で片付けられるほど単純ではない。
能書きよりもむしろ、経験に基づく原理原則を踏まえた対応こそ、実は信頼を集めるものだ。
日本中が狂乱物価の真っ只中で、あらゆる経営者、サラリーマンが値上げに狂奔している時、一切の値上げを禁止した経営者がいた。
僕は37年も前に見た、このオーナー経営者のこの時の経営姿勢を、その後も深く尊敬し、胸に刻み込んでいる積りだ。