昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

海賊とよばれた国岡鐵三と国岡商店

僕は国岡商店とは因縁浅からぬ関係だ。
百田尚樹が「海賊とよばれた男」で繰り返し書いているが、国岡商店の社員は、国岡鐵三が存命の頃は、まるで教祖様への帰依を競う如くに夜討ち朝駆け体質で、商売敵をなぎ倒していた。
その商売敵の一員が僕だった。

小説では、国岡商店の製品は品質が優れている事になっているが、僕が扱っていた商品では、国岡は最後発。
品質の劣位を、価格と仕事熱心さで補っていた。
顧客へは午前7時に訪問、人海戦術が得意で、相手が辟易するほど通い詰める事も得意技だった。
石油連盟で嫌われ者だった国岡商店は、彼らが新たに進出したあらゆる部門で、警戒され嫌われていた。
百田は、国岡商店と国岡鐵三は、世間のあらゆる規制と闘ったと好意的だが、同業者にとっては厄介者でしかなかった。
僕は国岡商店と闘っている時は、絶対にアポロ石油を利用する事はなかった。

そんな国岡商店だったが、国岡鐵三が死んだ後は、段々普通の会社に変って行った。
勝手な推測だが、国岡商店が抱えていた巨額の有利子負債で、首が回らなくなったのではないだろうか。
一時は会社倒産まで噂されたし、有利子負債を減らすために形振り構わない合理化も実施したはずだ。
何より国岡商店の代名詞だった「定年なし」制度が見直された。
それと共に、滅私奉公型の国岡商店の社員たちも変わってきた。
我々と話す機会も増えたし、共通の話題も増えていった。
現場担当の責任者だった僕は社内で、「国岡は変わりました。昔はカルト集団だったけど、今は普通の会社です。一緒に組むことも可能です」とレポートを挙げた。
国岡商店の悪名がそこら中に轟きわたっている時代だったので、この考えは斬新で、当時の首脳陣の方針変換に影響を与えたはずだ。
そこからトントン拍子に話が進み、今度は不倶戴天の敵だったはずの国岡商店と一緒に仕事をする事になった。
言い出しっぺの僕も、当然ながらその一員。
蛇蝎の如くに忌み嫌っていた「あの国岡商店の社員と並んで仕事をするとは」と、昔の先輩たちは嘆いたが、「これもまた時代の流れです」と説得した覚えがある。
しかし皮肉な事だが、国岡商店の社員たちが同業者に受け入れられたのは、百田が賞賛してやまない国岡鐵三が死んだ後。
店主が生きている間は、まるで神がかり的言動ばかりが目立ち、話にならなかった。

百田尚樹は出光興産の社史をベースに、「海賊とよばれた男」、国岡鐵三と国岡商店を書いた。
言ってみれば、カルト集団と見做されていた国岡商店のオフィシャルストーリーだ。
小説は面白いし、国岡鐵三は決断力と魅力に溢れた経営者で、稀代の強運の持ち主だったことを否定するつもりは毛頭ない。
メジャーとも、日本石油連盟とも妥協しなかった気迫と商魂には、正直敬意を払わねばならない。
しかしその超人的なキャラクターを作り上げる為には、無理に脚色している部分も必ず存在している。

僕の友人は、40年以上前に国岡商店に入社した。
その入社試験用のパンフレットを見せてもらったが、そこには国岡鐵三の超能力の記載があった。
確か「店主が、目の見えない女の子の頭をやさしく撫でた途端、彼女の目が見えるようになった」と記憶している。
古今東西、この手の逸話を披歴するのは、詐欺師と相場が決まっている。
僕はそれ以来、あらゆる国岡鐵三の逸話に不信感を持ってきた。
だから大評判の「海賊とよばれた男」も、素直に感動したわけではない、
それでも百田尚樹の文章力の所為か、途中何度も涙ぐみながら読み終えた。

僕は、実在の国岡鐵三と、その国岡鐵三が成し遂げた奇跡の詳細を知っている訳ではない。
しかし国岡商店の社員と付き合ってみて、彼らの人柄の良さは実感している。
そんな僕にとって、小説の中の国岡商店、国岡鐵三は魅力的だ。
我が家は今や、ガソリンは全てアポロスタンドで賄っている。