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死刑制度とハムラビ法典

ハムラビ法典は「幼稚な考え」なので、それを根拠にした死刑制度を廃止するべきとの指摘がある。
僕は、この意見には与しない。
ハムラビ法典の考えが、幼稚だとは思わないからだ。
人間の歴史で、これこそ決定的な社会管理システムなどはありえない。
過去に様々な政権が登場し、これこそ全ての矛盾を解決する究極的体制と喧伝したが、長くて数百年で、次の価値観を持つ体制に取って代わられる。
そんな中でハムラビ法典は、楔形文字で書かれているほど古い法律書で、「目には目、歯には歯」の判断基準や価値観は、多くの人々に長らく影響を与え続けている。
そんなに長く時代を超えて生き延びた思想は、社会の判断規範として必ず深遠な真理を含んでいる。
万一ハムラビ法典が幼稚な考え方だったら、とっくの昔に消え去っているはずだ。

社会には、「やられたら倍返し」の考え方がある。
報復の恐ろしさを身にしみさせ、二度の逆らう気が起きないようにする為だ。
ヤクザ社会でも同じような事を言われるし、この考え方も問題解決の為には有効な手段なのだろうが、この場合、報復された側に次の不満が発生し、更なる報復合戦となる可能性が高い。
「目には目」も、「やられたらやりかえせ」と報復を勧めているかのように誤解されているが、ハムラビ法典の教えは、報復の範囲を等価等量に抑えていると考える方が正しい解釈だ。
ハムラビ法典の考えからは、過剰報復はできない。
そしてそれは、現代でも一番分かりやすく、且つ通用する思想だ。

法律や司法制度は、犯罪の加害者をどう処罰するか、被害者の無念を慰撫するかの決め事だが、「情状酌量の余地」などの考え方が加味されるので、決して単純で分かりやすいものではない。
如何なる理由があっても、人を殺す事は許されざる大罪だ。
だからその大罪を犯したものは、絶対に罰されなければならない。
現在の法体系では勝手な仇討は許されていないので、国家が代わって成敗してくれないと、被害者側が将に泣き寝入りを強いられる事になる。
まるで不公平だが、往々にして加害者の人権は様々に保護されているのに、被害者についてはヤラレ損のような扱いを受ける。
そんな中で現在の死刑制度は、情状酌量の上でも許すべからざる罪を犯した人への、国家が課す最大のペナルティとして存在している。

死刑反対の論点からは、死刑だって残酷な殺人行為だとか、冤罪を完全に否定できないとの意見がある。
また加害者と言えども、反省し、立ち直る機会を与えるべきで、感情的な報復を認めるべきではないとも主張される。
しかし、国家転覆を謀る内乱罪以外で死刑判決があるのは、悪質極まりない殺人事件に限定されている。
誰がどう考えても、死刑が妥当なほどの残虐行為に対してのみ判決が下されている。

冤罪の可能性は、それをなくすることが必要なのは言うまでもないが、それが為に明白な凶悪犯が生き延びる権利を有するのは、問題のすり替えだ。
「目には目」のハムラビ法典の考え方は、複雑怪奇な人間社会で秩序を保つ為の等価交換の原理原則であり、それはそれで普遍の真理だと思う。