昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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日本維新なんて名ばかりなんヂャ???

日本維新の会に合流した国会議員、松浪健太と、当代きっての人気者政治家、橋下徹が、誠にみっともない内輪揉めをやらかした。

当初の松浪は、「国政の決定は国会議員団の役割で、日本維新の会は橋下独裁政党ではない。言うべきことは忌憚なく言う」と、極めて威勢が良かった。
ところが橋下から、「そんな事なら日本維新の会に所属する必要はない。そもそも国会議員の戦略なんて国民から支持されていない。大きな方針、戦略については、僕の方が長けている」と不快感を表された途端、「維新は議論して、決める政党だということを述べたにすぎない」、一気に腰砕け。
有ろう事か、「マスコミのマッチポンプな報道はやりきれない」と、責任転嫁した。

全く持って、開いた口が塞がらない。
松浪健太のブログ内容は、誰がどう読んでも「国会議員も地方議員も同じ扱いなのは承服できない」と、橋下徹党首の運営を批判したものだ。
しかし、日本維新の会なんて大層な名前を名乗ってはいるが、その実態は何でも自分の思い通りに運営する橋下徹の私党でしかない。
出来もしない政策を並べ立て、大衆の人気を煽る。
気風のいい言葉や、官僚に徒手空拳で立ち向かう姿勢に、大衆はヤンヤの喝采を送る。

それが日本維新の会に集まる期待であり、その人気にあやかろうと、次回選挙で当落線上の政治家が日本維新の会のお墨付きを貰おうと群がってくる。
橋下徹にとっても、日本維新の会を政党化するためには、現役国会議員が必要だ。
両方にとって,持ちつ持たれつの関係で、政党日本維新の会が発足した。
これが日本維新の会の実態だ。

当然ながら国会議員連中は「日本維新の会が政党化するためには自分たちこそ必要不可欠」と、エリート意識を持って合流している。
ところが橋下徹にとっては、政党さえ出来れば国会議員の役割は終わったも同然の存在でしかない。
余計な説教はまるで不要、後は一兵卒としてひたすら橋下徹党首に忠誠を誓えば良いだけだ。
双方の思惑の違いが今回の醜態の原因なのだが、哀れなのは松浪健太を始めとする、日本維新の会に合流した国会議員団たちだ。
日本維新の会では、企業団体の献金も禁止、手弁当の選挙戦を主張され、今までの国会議員のメンツや実績など全く評価ゼロの扱いをされている。

僕は、この橋下徹に似た、とある田舎町のオーナー経営者を知っている。
もう40年ほど前のことだが、彼はライバル会社のある事業が、欲しくて仕方がなかった。
そこで彼は、その事業の営業と製造の責任者を、ライバル会社から破格の条件で引き抜いた。
その歓迎会の席上で、悪酔いしたオーナーは己の一物を取出し「忠誠心を試す儀式」を強要した。
既に前を会社を退社してしまった責任者たちは、もはや新たなオーナーに逆らえる立場にない。
泣きの涙で命令に従ったのだが、悲劇はこれだけで終わらなかった。
その事業を完全に把握した後、オーナーは「主人を裏切るヤツは信用できない」と、引き抜いた責任者たちを自分の会社から追い出してしまった。

僕には、日本維新の会で生き残りを目指している国会議員団の連中が、この時の哀れな責任者たちとダブって見えている。
彼らは、日本維新の会が政党化するまでだけに必要な、捨石でしかないのではないだろうか。
そのうちに、冷徹非情な橋下徹から「御用済み」と捨てられる運命ではないだろうか。
しかもその日は、そう遠くないタイミングで訪れるのではないだろうか。
例えそうなっても、彼らを自民党だから、みんなの党だから、民主党だからと一票を投じた国民から見れば「自業自得だ」と見放されてしまうのではないだろうか。
そして、未来永劫全く役に立たない政界の厄介者、使用済み核燃料のような東国原英男とか、中田宏とか、山田宏たちが跳梁跋扈する日本維新の会そのものが、見せ掛けだけのこけおどし政党ではないのだろうか。
僕はそんな思いで、今回のドタバタ劇を見ている。