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マスターズ観戦記、もちろんテレビでだけど

マスターズのテレビ観戦は楽しい。
マスターズは、歴史の重みに加えて華やかさがあり、他のメジャートーナメントとは雰囲気が違う。
世界中のゴルフのマスターたちが、最終日のグリーンジャケットを目指して一打一打に心血を注ぐのだから、見ている方も力が入る。
画面で見るだけでは欲求不満になり、あんなに美しいコースで一度はプレイしたいと思うが、同時にあんなに難しいコースでプレイしたら、どれだけ叩くだろうと不安になる。

少し前には、いつの日か日本人がマスターズウィナーにと思わないでもなかった。
しかし今までの中では、日本でも有数のおっちょこちょいゴルファー、片山晋呉の四位が最高位と聞くと、こんな夢は妄想にすぎないと諦めの境地になる。
今年の石川遼は、予選を通過した。
中年ゴルファーの星、藤田寛之が予選最下位だったのに比べ、よくぞ頑張ったと褒めなければならない。
最終日には4アンダーを出した。
早速「このスコアが最初に出たら優勝争いだった」と、まるで無意味な提灯記事が並ぶ。
しかしゴルフは、四日間のトータルスコアが実力なのだ。
一日だけ善戦した選手なんて山ほどいるが、最終日に優勝して称賛を浴びる選手はたった一人しかいない。
石川遼は、今年のマスターズでは38位の実力だったのであり、それ以上でもそれ以下でもない。

テレビで見る限り、PGAと日本ツァーの実力さは隠しようがないくらいに大きく感じる。
ショットに関しては、飛距離の違い、リカバリーショットの巧拙があるだろうが、外国人トッププロも結構ミスショットをするので、テレビで見ていてもその差が分かり難い。
マスターズは飛ばし屋有利と言われるが、例え飛距離で負けても、堅実にフェアウェイを捉える藤田寛之的ゴルフで通用するような気がする。
しかし、パットの違いは歴然だ。
ゴルフの場合、パターが一番難しい。
ドライバーは幅50ヤード、アイアンは幅10ヤードのブレが許される。
しかしパターは、わずかにカップ一個の直径内を通さないと入らないし、外すと最低でも一打損する。
しかも見えないカップを目標に、イメージの世界に打ち出していく。
更に難しいのは、距離まで合わせないといけない。
ゴルフは他のスポーツとは違い、アスリートが一瞬に全力を込めて結果を出すものではない。
距離感とか方向性とかは、力加減を制御する能力が必要だし、それは努力で身につくというより、元々持っている本能としか思えない。

外国人トッププレイヤーのパターは、どんなところからも入りそうに思える。
また例え外れても、ボール一個と言うより、指一本、いや紙一重の差でしかないので、見ている側も大いに盛り上がる。
それに比べて、石川遼
かなり近いパターでない限り、まず入る気がしない。
そして案の定、入らない。
その内に、近い距離まで外す。
偶にマグレが出ても、あんな難しいグリーンでパターを続けていると精神的な疲労が蓄積されるに違いない。
四日間マスターズトーナメントを戦い抜くには、肉体だけでなく精神面のタフネスが最重要で、それは日常的に世界最高峰のPGAツァーで、世界のトッププロと切磋琢磨を繰り返してこそ初めて身につくのだろう。

僕も石川遼と同じく(?)、パターに悩んでいる。
稼ぐ金額も、知名度も、石川遼と僕では「かなり」なんてモノじゃないくらいの差があるが、パターが入らない一点では、悩みは同じだ。
だから分かるが、パターはいくら努力しても上手くならない。
プロが血の滲む試行錯誤を繰り返しても、僕の様な素人がイイカゲンな閃きを根拠に練習しても、最後は才能だけがモノを言う世界に違いない。
日本中のゴルフファンが一瞬、石川遼ならマスターズに通用するかもしれないと幻想を持った。
しかし今回のマスターズを見るにつけ、日本に超弩級のパター才能の持ち主が登場しない限り、日本人のマスターズ制覇は夢のまた夢と思い知った。

僕にその才があれば、勇んでオーガスタに挑戦するものの、「わずかに」不足しているのが残念だ。