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アンチ巨人ファンの独り言

僕は、読売巨人軍が好きではない。
基本的に、権威に反発したくなる天邪鬼精神が強いので、「我こそプロ野球の頂点」みたいな巨人軍の所作、振る舞いが鼻につく。
特にアンチ巨人の人間にとって、巨人軍、及び巨人ファンの理解できない部分は、彼らが連戦連勝、常に優勝することを期待していることだ。
リーグで覇権を争うゲームなら、百戦百勝はあり得ないし、仮にそうなったら、リーグ全体が全く面白くなくなる。
やはり勝った負けたを繰り返しながら、最終的に優勝するからこそ、勝敗への興味が持続するものだ。

日本プロ野球界も、もちろん共存共栄でなければ長続きしない。
全チームに優勝を狙うだけの戦力強化のチャンスを与えるために、1965年にドラフト制を導入した。
当初は、巨人ブランドと札束攻勢で有力新人をかっさらっていた巨人は、ドラフト制は職業選択の自由を阻害する憲法違反と言い出した。
さすがにそんな稚拙な意見は、支持を集めない。
途中で、逆指名制を取り入れたり、それが自由獲得枠に変わったり、姑息な制度改定が行われたが、それでも50年、半世紀も経過して、すっかり制度として定着している。

ドラフト制は結果として、各チームの戦力均衡をもたらし、多くのチームが優勝のチャンスを得た。
この恩恵は、単にチームや選手だけが浴するのではない。
実はプロ野球を下支えしている多くのファンたちもまた、数年に一度はオラがチーム優勝の歓喜を味わうことが可能になった。

これはアメリカンフットボールでは、昔から当たり前の制度だった。
NFLでは更にウェーバー方式で、前年度下位のチームから順に、有力新人選手をピックアップする。
「指名が重複した場合抽選で決定する」みたいな、中途半端なドラフト制ではない。
弱いチームが、最優秀な新人選手を戦力にすることで、翌年には強豪チームに生まれ変われば、ファンも飽きないし、リーグも更に繁栄するとの信念が貫かれている。
またNFLには、サラリーキャップ制もある。
各チーム選手の年俸を、一定限度内に抑え込むものだ。
この結果特定のチームが、年俸の高い有力選手を抱え込むことができない。
NFLで、毎年驚くほどの主力中心選手がトレードに出されるのは、このサラリーキャップ制の所為だ。
これもまた、各チームの戦力を平均化する。
NFLでは、日本プロ野球のような、「巨人V9」などは絶対にあり得ない。

しかし日本のプロ野球では、ドラフト制が定着すると、次にフリーエージェント制を導入する。
これはあたかも、選手の権利を守るかのように装っているが、実態はカネのあるチームが、他チームの主力選手を引き抜く制度でしかない。
そしてこの恩恵に浴する一番のチームが、ほかならぬ巨人だ。
ここまでリーグ全体、更には日本プロ野球界全体で、巨人中心の運営をお膳立てする。
これが日本プロ野球界の実態だ。
これではいつまで経っても、日本プロ野球は国際的な基準から離れた、超マイナー国内スポーツで終わってしまう。

スポーツ界全体の人気を維持するのには、二つのやり方がある。
一つは、リーグに参加しているチームの全てに優勝するチャンスがある、群雄割拠の状態を作り上げることだ。
もう一つは、因縁の戦い、伝統の試合を作りあげることだ。
但し、一強他弱になると、一部のマニアックなファン以外には面白さがなくなってしまい、いずれはそのスポーツに興味を失ってしまう。
だから巨人軍とそのファンたちは、自分たちがいつも勝ち続けようと思ってはいけない。