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沖縄県知事選への思い

翁長雄志前沖縄知事の死去を受け、沖縄県知事選挙が実施される。
沖縄県民でもない僕だが、その結果には大いに関心がある。

前知事、翁長雄志は、すい臓がんだったようだ。
僕の先輩も、40代半ばで同じ病気にかかったが、癌が発見された時にはすでに手遅れ。
一年弱の闘病生活で、最後はやせ細り、人相が変わってしまっていた。
自覚症状がほとんどない病気なので、翁長雄志もまた手の施しようのない状態だったようだ。

少なくとも日本人の価値観からは、死者への冒涜は避けるし、他人の不幸を望んだりはしないはずだ。
僕は、翁長雄志が進めた政策には反対の立場だ。
しかしそれでも翁長雄志に対しては、死んで当然の政治家とは思わない。
志半ばで倒れたのだから、さぞや無念だろうと同情はしている。

逆に一部には、「政府が翁長雄志を殺した」とアジっている連中がいる。
実際にネットでも、「安倍の所為だ」とか、「安倍が死ねが良い」とかの書き込みがある。
しかし病名がはっきりしているうえに、仮に政府とのやり取りがストレスだったとしても、それが原因ですい臓がんになったのではない。
こんな無茶な言い掛かりをつけ、果ては一国の総理大臣に対して「死ね」と罵声を浴びせる日本のサヨク連中には、人間としての尊厳が全く感じられない。
右翼もサヨクも、例え政敵に対してでも一定の敬意を払うのが、日本人のメンタリティのはずだ。

そんな感傷的な観点ではなく、純粋に政治力学から見て、僕は翁長雄志の逝去が残念でならない。
翁長雄志は前回の知事選で沖縄の基地負担を政治問題として取り上げ、沖縄県民の被害者意識と反発を煽り、前任者、仲井眞弘多を破って当選した。
その後は、沖縄基地問題にしても普天間基地移転にしても、代案は一切示さず、政府案に反対し続けた。
裁判でその主張が退けられても尚、様々な手段を講じて抵抗を続けた。
その結果の沖縄は、沖縄県民と言うより、むしろ本土の反安倍政権勢力の活動拠点化している。

沖縄知事選は、翁長雄志が健在だったとしても、改選時期を迎えていた。
そんな環境下で、翁長雄志が逝去した。
僕は正直に言って、翁長雄志には死んでほしくなかった。
生きて元気な状態で、沖縄県知事再選に臨んで欲しかった。
何故なら、翁長雄志が進めてきた政策だけでなく、沖縄県知事翁長雄志そのものへの沖縄県民の審判を仰ぎたかったからだ。
沖縄県民には、公正且つ客観的な判断を望みたいが、仮にそれが翁長雄志の政策支持であっても、それはやむを得ないと諦めることが出来る。
しかし反安倍政権勢力のように、「これは翁長雄志の弔い合戦だ」などと情感に訴えられては、沖縄問題の本質議論が深まるはずがない。

しかしこればかりは、どうしようもない。
幸いにして、翁長雄志の遺言テープがあり、後継者が具体的に指名されている(らしい)。
そこで指名された(らしい)玉城デニーは、翁長雄志の正統な後継者と自称し、候補者一本化を進めている。
都合よく出てきたこのテープは、その真偽を疑う向きもあるが、それはそれで構わない。
一方の翁長雄志に批判的な保守勢力は、前宜野湾市長、佐喜眞淳系候補者に一本化したようだ。

ならば、堂々たる政策論争の上で、是非とも佐喜眞淳が知事選に勝利して欲しいものだ。
それこそが中国の海洋進出を阻み、日本の平和を維持する唯一の選択肢だと思う。
(敬称略)