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栃ノ心対朝乃山戦、誤審の責任

完全に誤審だ。

13日目の栃ノ心対朝の山戦は、何度見直しても、栃ノ心の踵は残っていた。

ところが一番近くで見ていた放駒審判が、「栃ノ心の足が砂を払った」と物言いをつけたのがことを発端。

長い協議の結果、「一番近くで見ていた放駒親方の目を信じる」ことになり、結果は行司差し違え。

 

そんな馬鹿な!

ビデオで見直せば、一目瞭然ではないか。

 

タダの一番ではない。

栃ノ心には大関復活がかかっているし、今場所の優勝争いにも直結する、大事な、大事な勝負だ。

言ってみれば、栃ノ心にとっても、相撲協会にとっても、一大事件のはずだ。

それを誤審で、栃ノ心の負け裁定となれば、やってられない気分になる。

幸い14日目で栃ノ心大関復活を決めたが、立会いに変化したので後味が悪い。

栃ノ心が勝負に拘った相撲の結果、千秋楽を待たずに、平幕朝乃山の優勝が決まり、トランプ大統領が相撲観戦に来る千秋楽は、気の抜けたビールみたいになってしまった。

 

その昔、連勝中の大鵬が、世紀の大誤審で負けにされた事件があった。

当時は大鵬の全盛時代で、双葉山の69連勝を抜くだろうと見做されていた。

ところが、大鵬が45まで伸ばしていた連勝記録は、対戸田戦で土俵審判の大誤審が原因で止まってしまった。

テレビのビデオでも、新聞の写真でも、そして肝心の戸田ですら負けを認めていたのに、審判だけが間違っていた。

 

相撲協会はこれを反省し、その後ビデオ判定が導入された経緯がある。

今回の物言いも、一番近くで見ていた、一番説得力があるはずの放駒親方が誤審の主犯になった。

所詮、人間の目なんて、当てにはならないのだ。

 

大関復帰に命がけの栃ノ心のように、あるいは優勝賜杯争いの帰趨を決しかねない取組であれば、「一番近い親方の目を信じる」みたいな妙な原則論を振りかざすのではなく、誰もが納得できるビデオ判定を取り入れるべきだった。

それでも相撲協会が、前時代的な「一番近くの親方の目で判断」と開き直るのなら、いっそ、ビデオ判定など止めるべきだ。

マァ、物言いの結果を度々間違えてアナウンスするような、出来の悪い阿武松親方が審判委員長を務めるような体制に、期待するのが間違っているのかもしれないが。

 

尤も、「人間のやることだから間違いはある」とか、「間違いもまた大相撲の魅力」とかの意見もあるだろう。

全員が同じ意見などはあり得ないから、誤審を認める人の存在もありとは思うが、それでも今回の物言いでは、全く腑に落ちない点がある。

ビデオで見れば、栃ノ心の踵が浮いていたことははっきりしている。

ところが目の前で見たという放駒審判は、栃ノ心の足が砂を払ったと、一人で栃ノ心の負けを主張した。

踵が接地していないのだから、砂が飛ぶはずはない。

だとすると放駒親方は、そこに絶対に存在しないはずの砂を見たと思い込んでいることになる。

これは一般的には錯覚と言われる現象だが、審判と言う大役の人にあってはいけない。

錯覚の上で自説を力説したのなら、審判としての資質に欠けていると言わざるを得ないし、技術指導による矯正がなければ、審判を続ける資格はない。

 

誤審は力士に対しても観衆に対しても、大変失礼なことなので、絶対になくさなければいけないし、最低でも誤審の数が減らないといけない。

その為には、相撲協会が、誤審をやった審判を厳しく指導し、技術レベルを上げる努力が必要だ。

民間の企業だったら、ミスをすれば再発防止のために、厳しく指導されるし、ペナルティも発生する。

 

今回で言えば、誤審を仕出かした放駒親方が、今後も審判を続けるためには、技術向上のための再教育と。誤審を反省するためのペナルティが必須だ。

組織としてそれを課せない限り、相撲審判の誤審が減るはずがない。

今は大人気の大相撲も、誤審を繰り返せば、ファンから見放されるし、人気を維持することはできない。

今回の栃ノ心対朝乃山戦の誤審問題には、相撲協会はそれほどの危機感を持つべきだ。