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関口宏の「かもしれない」発言は不愉快極まりない

僕が非常に嫌いな言葉がある。

それは、セリフや文章の最後に、「かもしれない」をつけることだ。

自分では、極力使わないように気を付けている。

 

そもそもは、こんな言葉はめったに使われなかった。

しかし、TBS日曜日朝の「サンデーモーニング」の司会者、関口宏あたりが頻繁に使い始めた。

この番組は、典型的な偏向番組で、サヨク陣営には好評でも、反サヨク側は蛇蝎のごとく嫌っている、

司会者もひどいが、出てくるコメンテータ連中が、更に輪をかけてヒダリ巻きばかりだからだ。

真面な出演者など、未だ見たことがない。

 

そしてその総元締め、関口宏は、何かある度に、この「かもしれません」を連発する。

「そろそろ、ミンナで、考える時代になった」では終わらない。

最後に、やや尻上がりに「かもしれません」と付け加える

聞くだけで反吐、だけでなく、ヘドロまで出てくるほど不愉快になる。

 

そもそも「ミンナで考える」など、一見耳触りの良いセリフだが、まるで無内容だ。

いくら皆で考えても、同じ結論にならないから、侃々諤々の議論が起きる。

ヒダリ巻きの連中は、安倍首相の全てを否定している。

しかし一方の、保守的な考えの人たちは、そんなヒダリ巻きの馬鹿げた主張など聞きたくもない。

それなのに、「ミンナ」などを持ち出して、皆で話し合えば平和的に解決できるなんて、欺瞞でしかない。

 

更にご丁寧にも、最後に「かもしれない」と念を押す。

それまでも漠然としているのに、疑問形で終わることで、責任回避を図っている。

絶対に断言せず、自分には火の粉が降りかからないための予防線を張る。

「かもしれない」と言っただけなので、結論がそうならなくても、知らない、責任はないとの逃げ口上だ。

こんな卑劣な無責任オトコが、一端のオピニオンリーダーを気取り、毎週偏った内容の放送を繰り返しているのだ。

 

彼らは、口を揃えて、安倍政権の危険性を訴える。

日本の安全保障に関する法案を戦争法案とレッテル張りし、安倍政権は戦争への道を歩んでいると批判していた。

しかしヒダリ巻き連中は、60年安保反対の時から、「自民党は戦争への道を歩んでいる」と言い続けている。

60年安保騒動から、もう60年近くが経過している、

こんなに長い間、戦争への道を歩き続けてきたのなら、必ずどこかで戦争に直面したはずなのに、彼らには、未だに歩き続けていると見えるらしい。

現実の世の中で、世界中に戦争がなかった時代はない。

常に誰かがどこかで、武力衝突を繰り返している、

しかし現実は、あれほどヒダリ巻きが反対した安保条約を結んでも、有事法案を作っても、日本が戦争に巻き込まれたことはなかった。

 

ヒダリ巻き連中は今すぐに、自分たちの「ためにする反対」理屈で、日本人を騙し続けたことを反省するべきなのだ。

しかし、そのヒダリ巻きの重要な一翼を担っている関口宏は、あたかも中立を装いながら反安倍政権の活動に勤しんでいる。

そしてその典型が、「かもしれない」に代表される無責任な煽動発言だ。

別に個人がどんな考えを持とうと自由だが、ネットの普及でそんな偏った情報発信は通用しなくなっている。

 

関口宏サンデーモーニング出演者は、あの程度の情報発信で世論をヒダリ巻きに誘導できると考えているのなら、あまりにも無知で傲慢だ、