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安保法案反対野党への違和感

僕は、安保法案を詳しく知っているわけではない。

集団的自衛権行使範囲の拡大を目指す安倍政権と、憲法違反を盾に徹底的に抵抗する野党勢力

そんな構図だろう。

賛成派は、無論自民党公明党、次世代の党の三党で、反対派は、民主党、維新の党、共産党社民党、生活の党。

(個人的意見だが、反対派の中に小沢一郎がいるのは、何とも場違いな感がありますネェ………..

 

僕は何となく、安保法案は必要なのではないかと思っている。

「自由と民主主義を守る」と、お節介にも世界中に出掛けて戦争までしてきたアメリカだが、さすがに経済面でも大儀の面でも、馬鹿らしくなってきたのだろう。

今までのような、世界の警察官の役目を果たす気持ちが薄らいでいる。

日本に対しても然りで、ただただ一方的に日本を守る役目を果たすのは御免被りたいのが本音だ。

一方の日本は、日米安保条約で国防の大半をアメリカに依存し、ひたすら経済面の充実に邁進してきたが、このやり方を今後も続けるのは難しい。

周囲を見渡すと、中国は海洋進出の野心を隠さないし、北朝鮮核兵器開発に余念がない。

こんな環境下では、結論として自分で自分を守る術を考えざるを得ない。

そんな背景から、安保関連法案の見直しに着手したものと思うからだ。

 

無論、何かをやろうとすると、絶対に反対する勢力も存在する。

日本は中国や北朝鮮とは違う民主主義の国なので、どんな意見を持っても自由だ。

だから安保法案に反対する意見にも、充分耳を貸さねばいけないと思っている。

しかしいくらそう思っても、余りにも稚拙な論理を、「自分たちが正義だ」とばかりに騒ぎ立てられると、昔見た「何でも反対野党とデモ隊」の光景が、デジャブみたいに蘇ってくる。

日本国憲法を守れば平和に暮らすことができる」などは平和ボケの権化で、例えば中国が「日本は憲法で戦争を放棄しているから、攻めるのはやめよう」と考えるとでも思っているのだろうか。

とてもじゃないが、付き合いきれない。

 

反対派を代表して横浜市公聴会に登場した弁護士、水上貴央大先生の、「多数決主義ではなく、民主主義が必要」とは一体何のことだ。

彼の言う民主主義には、多数決は存在しないのだろうか?

野党やデモ隊が口々に叫ぶ「議論が尽くされていない」のも分からない。

この手の輩は、自分たちの意見が通るまでは、絶対に「議論が尽くされた」とは言わない。

何とも、身勝手な意見なのだ。

「戦争法案」も分からないし、「徴兵令復活」とか、「我が子を戦場に送る」とか、全く情緒的な反対論が幅を利かせている。

 

今の世の中で、「戦争をやりたい」みたいな考えは、どこにもあり得ない。

安保法案を提案している安倍政権、与党側だって、「戦争を避けるための抑止力」を主張している。

しかし残念ながら、戦争は起きる。

人間の価値観が、多様だからだ。

しかも人間は、自分の価値観を広めようと努力する習性がある。

すると必ず、衝突が起こる。

 

人間は、様々な負の経験を経て、その解決策として民主主義を考え出した。

この民主主義にも多くの問題点があるが、今のところ民主主義以上の社会システムがないので、問題解決の手法として多くの国で採用されている、

しかし世界には、民主主義などとんでもないと、全く違う価値観を広めていこうとする勢力が現実に存在している。

IS(イスラム国)がそうだし、先述した中国、北朝鮮もそうだ。

そのような国が存在する以上、いつの日か利害が衝突する恐れは捨てきれないし、その衝突が戦争に至る可能性もまた大きい。

 

安倍政権に対して、「戦争ができる国を目指している」との批判がある。

「戦争をさせない」プラカードを掲げる、デモ隊もいる。

この批判もまた、幼稚な意見そのものだ。

戦争を放棄した国はあっても、戦争ができない国はない。

一旦自国を責められたら、戦わない限り、すぐに占領されてしまう。

それは日本でも、北方領土でも竹島でも経験したことだ。

 

戦争は紛争解決の最終手段であり、人間や国家に紛争がある限り、決してなくなるものではない。

人間は、戦争をする生き物だ。

日本は戦争をする気がなくても、周辺のきな臭さに無縁ではありえない。

戦争反対を口にすれば平和を享受できるなどは、まさに幻想だ。

現に安保法案に反対している野党は、鴻池委員長の行動を力で抑え込み、委員会開催を阻止しようとした。

これは戦争と同様の、武力を用いた意思表示の一つだが、自分たちの行いは全く見えていない。

責任ある政党なら、情に訴えて単に反対と言うのではなく、安保法案が不要ならどうやって国を守るのかを具体的に提案するべきと思う。