昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

「表現の自由」で自滅した三人組

あいちトリエンナーレ2019からの展示物撤去問題で、主役を務めているのは

 ・津田大介芸術監督

 ・東浩紀企画アドバイザー

 ・大村秀章愛知県知事

の三人だが、いずれも直近では醜態を晒す結果となっている。

 

脇役として

 ・河村名古屋市

 ・吉村大阪府知事

 ・高須克弥高須クリニック院長

 ・その他、言論の自由を守れ」と絶叫している自称文化人や評論家連中

が登場している。

 

そんな中で

 ・展示会への襲撃を予告した犯人が逮捕された。

 ・吉村府知事や高須院長が、犯人逮捕なら撤去した作品の再展示をと要求した

 ・当事者の一人、東浩紀が展示物について謝罪した。

と、大きな変化が起きたが、展示物への批判派の意見が威勢がいいのに比べ、主役三人は、真面な対応ができていない。

 

実際には、いくら「言論の自由を守れ」派や、本来なら反対派の吉村、高須両巨頭が、呉越同舟で作品の再展示を求めても、主役三人がそれに同意することはあり得ない。

何故なら、主役三人が展示品を撤去した理由は、「会場の安全に不安がある」からではなく、自らの保身のためだからだ。

 

そもそも主役三人は、今回の事態をナメていたとしか思えない。

「少々紛糾するかもしれないが、話題になれば催し物も成功するし、自分たちの政治的立場も確固たるものになる」程度の浅知恵だろう。

それが思いの外の大反発を招き、慌てて事態収拾を図ったのが、「会場の安全」論だ。

実際には、脅迫状が届いてすぐに、会場の安全を守るための被害届を出してさえいれば、翌日には犯人は逮捕されたはずだ。

大村県知事は、他にも脅迫状が来ているとも話していたが、逮捕された犯人を見ても愉快犯の思い付き予告であり、シリアスなモノがあったとは思えない。

仮に危険極まりない犯行予告だったとしても、警察と緊密な連携をとることで防止できるはずだ。

大村は、河村や吉村を「憲法を理解していない」と批判しているが、県知事として、憲法に保障された「表現の自由」を守るために全力を傾けた形跡などどこにもない。

 

言論の自由が死んだ」などと大騒ぎした評論家連中も、結果として大恥をかいた。

主役の一人東浩紀が、今回の展示品について、「表現の自由の範疇を超えてモノで、多くの人の心を傷つけた」と、坊主懺悔で謝罪したからだ。

もう一人の当事者、津田大介は「責任を痛感する」とのコメントを残しただけで、あとはひたすら雲隠れに徹している。

展示した側の責任者が非を認め、自ら展示物を撤去したことが、何故「表現の自由を侵害した」となるのか。

  

そんな中で唯一、「表現の自由憲法で保障されている」と頑張っているのが、大村県知事だ。

しかし論争の相手、河村市長から「ならば展示品は正しいと言え」と論破されると、途端にこれに対しては沈黙してしまう。

もう一人の相手、吉村府知事を「哀れ」と酷評するも、「では撤去品の再掲示を」と迫られ、返事に窮してしまっている。

為政者として、憲法で保障された表現の自由を守るためなら、安全を確保した上で、撤去した作品の再展示するのが筋だろうが、全く腰が据わっていない。

 

大村は政治家だから、次の選挙のことを最優先して考える。

今回の問題で、特に今まで大村を支持してきた保守層からの批判や反発が急増しているので、何とか落としどころを探らないといけない。

ダメージコントロールとして、「脅迫犯がいるので展示継続は困難」を理由に、臭いものに蓋をしたのだから、今更火中の栗を拾うはずがない。

元々の主役三人は、表現の自由のために一命を賭してなどの使命感はゼロで、評論家諸氏の期待に応える気など毛頭ない、全くの腰抜け野郎なのが判明してしまった。

評論家どもは、そんな三人の軽薄なパフォーマンスに踊った、自らの不明を恥じなければならない。

 

しかし今回、特に天皇陛下への冒涜を怒っている連中にとっては、展示品がなくなり、主役三人が表舞台から消えておとなしくなれば収まるほどヤワなものではない。

本当に真摯な反省をしているのなら、全ての公職を辞すのは当たり前で、その後は出家修行でもして、心を洗い直すくらいでないと、世間から許して貰えないと思う。

 

主役三人にとっては、何とも高い代償の「表現の自由」だが、これも全て自業自得だ。