昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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プロの主婦

会社員をリタイアして、初めて知ったことがある。

それは、主婦の仕事の大変さだ。

 

現役の頃の僕は早起きで、朝5時には起き出していた。

そこから必ずご飯、味噌汁におかず一品にお新香の朝食をとるので、準備のために妻は僕よりも少し早く起きる。

そして6時には家を出ていたが、駅まで歩くのが嫌で、必ず車で送って貰っていた。

帰宅するのは早くて午後7時、顧客や同僚と飲んだ時は午後11時。

朝は負担をかけているとは思っていたが、正直言って、出社した後、帰宅するまでの間、妻が何をしているのか、全く知る由もなく、また関心もなかった。

 勿論、土、日曜日は三食を妻に用意して貰うのだが、たまの休日をぼんやり過ごしているので、殊勝な気持ちで、主婦って大変だなと思うこともなかった。

 

しかしリタイアすると、一日中夫婦で一緒にいる。

すると否応なく、今まで僕がいなかった時間の、妻の過ごし方が分かってくる。

今の僕の朝食は、牛乳コップ一杯と、前日から冷蔵庫に用意されているサラダに納豆。

昼食は、ほとんどが麺類。

うどん、そば、夏はそうめんを茹でて貰う。

これに、刻んだネギとか茗荷、生姜などが加わるだけなので、さほど妻の手を煩わせるわけではない。

 

しかし、夕食の準備となると、様相が一変する。

昼食後しばらくすると、妻が「今日の夕食は何にしようかな」と悩みだす。

「冷蔵庫にはアレとアレがあるから、アレができるはずだけど、それにはアレが足りない」とか、独り言を言う。

そこから「では不足しているアレを買おう」となり、荷物運びのために、僕も近所のスーパーまで買い物に同行する。

 

妻はこの作業を、基本的に毎日、365日、繰り返していたことになる。

 

僕は先ず、毎日変わるメニューの豊富さに驚く。

同じものを連続すると、食べること専門の僕だけでなく、作る側の妻も飽きてくるらしい。

だから、目先を変え、味を変えた食事を準備しなければならない。

妻曰く、「食事を作るのは、想像力と構想力から始まる」とのこと。

 

更に、冷蔵庫や物置にある惣菜ごとの在庫を、キッチリと把握していることに驚く。

また買い物に行くと、「この店は値段は安いが材料が古い」とか「ここは新しいけど価格が10円高い」とか、「この店は魚が新鮮だけど肉はダメ」とか、店ごとの商品の特徴と価格帯を、驚くほど詳しく知っている。

最後のキャッシャーでは、あたかも買い物籠に適当に買い加えていたように見えても、実はおおよその支払金額を把握している。

たまに早く帰宅した時だけ食べていた夕食に、妻の情熱や努力が込められていたことを、リタイアして初めて知るとは、我ながら不覚だった。

 

夫が妻に対して発する絶対にタブーな台詞は、「俺が稼いだカネ」らしい。

共稼ぎでもない限り、確かに一家の生活を支える給料は、夫が働く会社から出ている。

しかし、家庭が安定していなければ、夫が会社で思う存分働くことはできない。

だから給料は、夫が会社で、妻が家で、場所は違えているが、夫婦二人が協力して働いた結果の報酬だ。

 

些か遅過ぎの感はあるが、リタイアして「プロの主婦」の仕事の大変さを知り、改めて感謝の念を持った。

しかし、いくら気が付くのが遅くても、それでも気が付かないよりも遥かにマシだ。

この歳になって、妻から見捨てられた夫ほど、情けなく不幸な人間はいないからだ。

ゴマすり、ゴマすり!

僕は仕事を離れても、相手が顧客から妻に変わっただけで、ゴマすりの一生を送っている。