僕は、食べ物の好き嫌いはない方だと思う。
小さい頃から、こと食べ物になると、親の躾が厳しく、少しでも残そうものなら、こっぴどく叱られた。
だから今でも、茶碗の中には米粒一つ残さないし、魚は「猫殺し」と笑われるほど、骨しか残らないまで綺麗に食べる。
ただ、何事にも例外がある。
高野豆腐と、インスタントラーメンに付いている着色麩(ふ)だけは、食べられない。
食事にこれが出ると、残す残さないの以前の段階レベルで、全く箸をつけない。
過去に食べた経験がないのに、見た目だけでこれほど嫌っている。
とにかく理由が何であれ、全く食指が延びない。
実は、アスパラガスも同じだったが、これは妻が大好きなので、強制的に食べさせられて、今では、好きではないが、大の苦手でもなくなった。
そんな僕が、入院した。
何か悪い所があるから、医者に診せ、それが簡単な投薬治療では治らないから、入院するのだから、そんな生活が楽しいはずがない。
更に、病院での日常は、まるで単調極まりないのだ。
だから、こんな生活にアクセントが付くなら、苦痛を伴う手術さえ、ヤルことがないよりまだマシと思うほどだ。
そんな中で、患者にとって入院中の唯一の楽しみは、食事しかない。
ところがこれは、栄養バランス優先なので、味付けは薄いし、量は少ない。
普通の生活をしていれば一顧だにしないような料理が並ぶが、入院していると、そんな食事でも待ち遠しくなる。
普段なら「不味い」と思うに違いないようなものでも、不思議と「美味い」と思ってしまうのだ。
そんな入院中の異常心理から、僕は実際にいつも以上に綺麗に食べ尽くしている。
食べ終わった後の容器は、猫が舐めたと思えるほどに、ピカピカに光っている。
ところが今日の病院の夕食に、何とその大の苦手の高野豆腐が出てきた。
見ただけで、食欲減退。
しかしこの日は、二個の高野豆腐を含めて、おかずは三品しかない。
入院患者にとって、高野豆腐は空腹を満たす貴重な栄養資源なのだ。
食べるか、食べざるか?
高野豆腐を前にして、沈思黙考すること30秒。
さながらハムレットの心境で悩んでみたが、「泣く子と地頭と空腹には勝てない」。
意を決して、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、一口頬張ってみた。
ウム!?
味付けが良かった所為かも知れないが、これなら大丈夫。
結局、二個とも平らげることになった。
記憶にある限り、人生初めて経験した高野豆腐挑戦だったが、案ずるより産むは易しとはこのこと。
いとも簡単に、高野豆腐完食証書を取得した。
そこで分かったが、食べ物の好き嫌いなんて、贅沢病だ。
それしかない環境では、人間は、消化が可能なモノなら、何でも食べる。
飽食の時代と言われ、食品廃棄が問題視されている。
当にその通りで、食べ物を粗末にしていると、必ずバチが当たる。
むしろ、好きなモノを食べることを求めるのではなく、モノを食べられることに感謝して生きていかなければならない。
僕は、天下国家の行末を憂えながら、入院食の高野豆腐制覇に成功して、少し偉くなった気分だ。