昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

楽観と悲観

楽観的、悲観的は、ポジティブとネガティブに近い。

どちらに属するかで、人生の楽しみ方が変わってくる。

 

一般的には、楽観的の方が良さそうに見える。

毎回、辛気臭い悲観論をぶつヤツよりも、威勢がいい進軍ラッパの楽観論の方が、周囲を明るくするからだ。

しかし現実は、楽観論の方がリスクは高い。

 

僕は、超小心者の経営者と一緒に、仕事をした経験がある。

彼は、何か起きるたびに、マイナス部分を見つけ出し、勝手に心配し、警戒する。

毎回同じことを繰り返すので、「大丈夫ですよ」と慰めても、なかなか安心しない。

設備投資などになると、あれこれ不安点を論うので、決定するまでが大変だった。

 

その後任は、打って変わっての楽観主義者だった。

とにかく「理屈より感性」、「弱気より強気」、「管理より自由」を社長方針として発表するほどだから、ケチンボの前任者に比べ、社員に大歓迎されて着任した。

この新社長は僕とは波長が合わず、すぐに別々の仕事になったので、その後は風の便りでしか知らないが、こんなイケイケ路線は、一旦景気が後退するとすぐに破綻する。

製品販売が落ちたら、当然在庫削減を図るべきなのに、この御仁は強気一辺倒を貫く。

景気回復の時に備えるとか称して、在庫を大量に増やしたりするものだから、一気に資金繰りが悪化する事態となり、経営責任を取らされた。

改めて、高度成長期を過ぎたタイミングの事業運営においては、石橋を叩いても渡らないほどの用心が大事であり、根拠のない楽観論の恐ろしさを痛感させた出来事だった。

 

我が家でも、結婚する前の妻は、何度かクイズ番組出場に応募していたらしい。

テレビのクイズ問題には、かなりの確率で正解するので自信があったらしい。

僕に言わせれば、お茶の間でいくら正解しても、収録現場で再現できるものではない。

間違えても何のペナルティもないテレビ視聴の場合と、間違いが絶対に許されない現場では、緊張感が違う。

また一人で気楽に答えるのと、ライバルに先んじて正解しなければいけない環境では、難しさに雲泥の差がある。

 

と、そんなことを説明しても、妻は「私は絶対に大丈夫」と言い張っていた。

幸か不幸か、妻の応募が採用されたことがなく、この論争は水掛け論で終わったが、僕と妻の個性の差が如実に表れた例だ。

 

外国語にしても、同じ傾向がある。

妻は一昔前から、近所の同好会で、暇に任せて中国語を学び始めた。

その後フランス語に食指を伸ばし、最近はラジオ講座でドイツ語にまで挑戦している。

多分片言外国語なのだろうが、実際に海外でそれなりに通じているので、勉強の成果が出ているとも言えるが、それにしても語学の達人には程遠いレベルのはずだ。

僕は、アチコチに手を伸ばすより、一つずつモノにする方が効果的と思うが、妻は「チャンと身についているから大丈夫」と気に留めない。

外国語は、厚かましさが上達の秘訣だから、楽観的の方が向いている。

 

悲観と楽観は、どちらかが優れているわけではない。

しかし、持って生まれた性格に拠る部分が大きいので、急に変われるものではない。

夫婦もそうだが、仕事でもコンビを組む場合に、同じ性格同士だとトラブルは少ないが、間違いがダブルになる恐れがある。

違う性格の組み合わせだと、マイナーなイザコザは絶えないが、双方が牽制し合うので相互扶助になる。