我が家は、夫婦に子供二人(男)の四人構成だ。
子供は二人とも働き、自活している。
親の責任は終了しているはずだが、それでもいつも気になっている。
因みに、子供は二人とも結婚していない。
世話好きの親戚や近所の人が、縁談話など持ってくることもあったが、本人たちには馬の耳に念仏で、全く結婚する気はなさそうだ。
我々夫婦もまた、子供の結婚はすべて本人任せにしている。
結婚することに反対はしないが、さりとて積極的に結婚を勧める気持ちはない。
我々は、仲が良い夫婦と評価されているが、周囲にはうまくいっていない夫婦も多い。
結婚することはギャンブルであり、必ず幸せになれるとの確信がないし、勧めた挙句、上手くいかなかったら、何らかの責任も感じるだろう。
そんなことは、御免蒙る。
結婚は、あくまで子供たちの自由意思だ。
この二人の息子は、性格が全く違う。
出来るだけ楽に生きたい長男に比べ、次男は縁の下の力持ちの役を厭わない。
いつも楽観的な長男と、自分の境遇を悲観的に見る次男。
同じような環境で育った兄弟でも、性格は違っているものだ。
実は、僕もまた、兄たちとは性格が違う。
貌や姿かたちは似ていても、兄弟は全くの別人格の持ち主だ。
この歳になると、父親が話していたことが思い出される。
父は、「兄は自分の仕事ぶりを克明に話すが、お前は何も言わない」とこぼしていた。
確かに僕は、自分のことは、学校での出来事も仕事についても、家族には話さかった。
共通の知識がない家族が仕事ぶりを聞いても、心配するだけと思っていたからだ。
一方の兄は、自分の成果や手柄を、自慢話で家族と共有するのが喜びだったようだ。
家族もまた、そんな自慢話を聞くことがうれしくて、楽しみにしていたらしい。
そんなことが分かったのも、自分の子供たちの性格の違いを知ってからだ。
長男は母親に、会社で自分が、いかに重要な役割を果たしているかを力説するらしい。
妻は、「やや大袈裟なのでは」とは思いつつも、長男の働きぶりを聞いて安心する。
一方の次男は、会社で何をどうやっているのか、全く寡黙だ。
まるで昔の僕と同じスタイルなので、僕には理解できるが、母親は違う。
母親とすれば、次男の仕事ぶりを少しでも知りたいと思うらしいが、次男は逆に、余計な心配はかけたくないのだろう。
そしてこの妻の思いは、僕の父親がこぼしていた悩みと同じなのだ。
今にして思えば、親孝行と思って、自慢話をすればよかったのだろう。
しかし会社の仕事は、いつもうまくいく訳ではなく、むしろ逆風のケースが多い。
一時的に息子が自慢できる会社員でも、次のタイミングでがっかりさせるよりも、何も知らせない方が良いと思っていた。
しかしそれでも、親は子供の頑張りを知りたがる。
上手くいっていれば一緒に喜びたいし、子供の情況が悪ければ励ましたい。
そんな気持ちの妻を見ていて、僕に不満を漏らしていた両親の思いが理解できた。
親孝行、したい時には親はなし。
子を持って知る親の恩。
人生は、反省ばかりだ。