こう見えても、若かりし頃は、映画監督になることを夢見たことがある。
切っ掛けは、小川伸介の「三里塚」を観たことだ。
この映画は、成田空港開設で土地を奪われる農民の、抵抗運動を描いたドキュメンタリーだった。
「先祖が開墾した農地は絶対に手放さない」と、徒手空拳で悪代官の空港公団に抵抗する農民を見て、憤りを共有すると同時に感動もした。
「よし、これこそ僕が、将来進むべき道だ!」
「こんなドキュメンタリー映画を撮って、日本中を感動の渦に巻きこむぞ!」
そんな天啓が閃いた瞬間だった。
それから30年、時の経過が、オトコの人生を変えた。
その時成田の農民に心から同情していたオトコは、しょっちゅう成田空港を利用する企業戦士に変身していた。
尤も、成田闘争の理解者と言っても、ただ「農民、頑張れ」と思っていただけで、具体的に行動したことはない。
いわんや、過激派や当時べ平連リーダー小田実のように、成田まで出向いて、武力反対運動に身を投じた訳ではない。
だから、成田空港を利用しても文句を言われる筋合いはないと、言い訳をしていた。
肝心の映画監督への道は、「三里塚」を見た直後にほんの一瞬、脳裏を翳めた夢物語でしかなかった。
その後、映画の世界を目指す努力など全くゼロで、普通の会社員の道を選択し、「趣味は映画鑑賞ですね」程度の、ありふれた映画好き会社員に成り果ててしまった。
更に今となると、過去の夢の残り粕の部分は、映画について一家言ありと自称し、何かと小うるさい理屈をこねるが、誰にも相手にされないオヤジと化した程度だ。
映画と原作小説の関係も、注意してみると面白い。
つかこうへい原作の直木賞作品「蒲田行進曲」が、深作欣也監督で映画化された。
松坂慶子、風間トオル、平田満主演で大ヒットしたので、覚えている人も多いだろう。
あの作品の映画シナリオは、原作を大幅にカットしたり、順番を変えたり、新たなシーンを追加したりで、かなり変更している。
だが、出来上がった作品は、映画の方が小説よりも断然面白い。
しかしフレデリック・フォーサイスの「オデッサ・ファイル」や、アリステア・マクリーンの「ナバロンの要塞」になると、小説をの方がエキサイティングだ。
最近では、池井戸潤の「空飛ぶタイヤ」は、連続テレビドラマも映画も、原作小説の面白さに遠く及ばない、
逆に黒澤明の映画の場合、原作は参考作品程度なので比較にならないが、あの映画の迫力を文字で表すことはできないだろう。
ところが、藤沢周平の原作を映画化すると、小説独特の渋さが表現できない。
小説と映画は、持ちつ持たれつの関係だが、小説によっては映画化しない方が、却って創造力を掻き立てるモノもある。
主演の役者などその典型で、小説のイメージと違う俳優を見るのは興ざめだ。
コリアンスターと噂される下手くそ演技のキム・タクなんぞは、元より見る気にもならない。
映画を見て小説を読むか、小説を読んで映画を見るかの違いはあるが、この二つは似て非なるものと思った方が良い。