昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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問題議員の巣窟、立憲民主党の皆サマたち

昨日、散々立憲民主党の悪口を書いたが、更に顰蹙モノの所属議員が現れた。

 

利権民主党高井崇志が、武漢肺炎で外出自粛が呼びかけられている最中に、風俗遊びに興じていたと言うのだ。

このお遊びの内容まで、微に入り細を穿つレベルで、克明に報道されている。

真面な大人なら、あんなことをバラされたら、みっともなくて外を歩けない。

齢50にもなって恥晒しそのもののオトコだが、これでも現職の立憲民主党所属国会議員だったのだから呆れる。

 

このオトコ、東大経済学部卒だから、偏差値だけは高かったようだ。

両親は、「崇高な志を持つ人間」に成長することを期待して「崇志」と名付けた。(と、勝手に推測)

読み方も、「タカシ」だしネッ⁉︎(あんまり関係ないカァ?)

しかしこの歳まで、このオトコがやったきたことと言えば、民主党バブルで国会議員に当選したものの、あとは維新の党や民進党経由で、現在の立憲民主党に辿り着くまでの政界渡り鳥生活だ。

何としても国会議員の座にしがみつこうとする根性だけは見上げたものだが、肝心の議員としての実績など皆無。

 一応は、職業は国会議員と名乗れるが、親の期待の「崇高な志」には、遥かに程遠い。

初めて全国区の話題になったのが風俗通い記事とは、我が子ながら誠に情けない。

両親は泣いているに違いない(と、勝手に推測、too)。

 

高井は、風俗遊びの日にTwitterで「ロックダウンの必要性」を訴えていた。

「夜の外出自粛では物足りない、政府はもっと強い措置で、満員電車をなくさないとダメ」と主張しながら、自分は、夜の街で風俗三昧とは、何とも恐れ入る所業だ。

 

こんな高井崇志を見て、三年前の前川喜平騒動を思い出した。

前川は文科省天下り問題の主犯として、事務次官をクビになったオトコだが、高井同様に、住吉会暴力団経営の風俗店通いの常連だった。

そのことを問題視された時の前川の言い訳が、「女子大生の貧困調査」だった。

信頼感ゼロの嘘八百として末代まで記憶される、程度の低い言い訳だったが、この前川は、反安倍首相の立場を鮮明にした途端、今度はマスコミの寵児として扱われ始めた。

あの、反安倍なら何でもありの自称コメンテータ、青木無理に至っては、「爽やかとは言い過ぎだが、気骨の正義感」とまで持ち上げた。

しかしその実態は二人とも、下半身がアンコントローラブルなベースケ親父の成れの果てにすぎない。

 

こんなマスコミ界なので、恐らくはSNS以外のテレビや新聞で、今回の高井崇志を追及する、奇特な精神の持ち主など現れないだろう。

今のマスコミは、「臭いモノに蓋」どころか、「腐ったものは隠せ」だからだ。

これが仮に、与党議員の不始末だったら、ここぞとばかりに朝から一日中、「ヤレ追求だ」「ヤレ新事実だ」と、大騒ぎを繰り返すに違いない。

しかしこんなマスコミの、野党への偏愛、過保護が、日本の野党を益々ダメなものにしてしまっている。

飽きることなく繰り返される野党のブーメラン自滅は、自分たちを厳しく監視している目がないコトへの安心感に他ならない。

与党を攻撃する材料なら、思いつきでも、断片情報を継ぎ合わせでも構わないと、勉強も予習もせずに大声で喚き散らすだけのそこには、次の選挙対策で、とにかく有権者への見栄えだけを気にしている姿しか見えない。

 

日本は民主主義国家だから、政府に賛成の人もいれば反対の人もいる。

こんなアホ議員でも、そんな政府反対の票を当てにすれば、比例代表の復活ゾンビ議員を続けることができる。

但しこんなアホ議員に、国政を担うことができるかとなると、今回の言動からも一目瞭然でNo!が分かる。

責任がないまま、騒いでいればメシが食える。

野党ゾンビ議員は、誠に美味しい職業なのだ。

 

そうこうしていると、更にもう一人、立憲民主党の石川大我議員が、夜の新宿二丁目での警察官とのトラブルを目撃されたらしい。

他にも、チビッコギャングでマスコミ恫喝の安住、未だに二重国籍問題から逃げまくりの蓮舫、セクハラチャック初鹿、クイズ王小西、カメラ目線だけオトコの柚木、セメントいて~辻元、大声花見オトコ杉尾ヒデ~ヤと、将にマイナス人材は多士済々。

問題議員の創造主にして巣窟、立憲民主党だが、過去の初鹿が仕出かしたセクハラについては不問に付し、今回の高井には除籍処分を下した。

「初鹿は許容範囲だが、高井はアウト」の立憲民主党の判断基準は、不明のままだ。

 

立憲民主党の中に、一人くらいは、真面で信頼できる政治家はいないモノか?!

そう思って見渡しても、誰一人として顔が浮かんでこないl。

立憲民主党カピバラエダノン代表もアタマの痛いことだろう。

「ザマア見ろ」と思いつつも、深く同情申し上げる。