人間、身勝手なもので、記録的長梅雨の7月には「早く晴れて」と思っていたのに、猛暑の8月になった途端、「暑すぎ!何とかナランか」と嘆く。
僕は寒さには結構強いが、夏の暑さは大の苦手なので、今からの一か月半は、家から出ないことを生活のポリシーにする。
一方、嫁はまるで逆で、寒さにはからっきし弱いが、真夏の外歩きは平気だ。
なかなか波長が合わないが、夫婦円満のためには、どちらかが我慢し妥協しなければならず、その役割りは、いつも僕に回ってくる。
よって、買い物や雑用があると、嫁との同行を求められ、汗をふきふき荷物運び業務に勤しむことになる。
ただそんな夫婦だが、水不足への不安感は共通している。
実は長男が一歳を過ぎたころ、当時住んでいた地方都市で、10か月に亘る未曽有を渇水を経験をしているからだ。
1978年5月から断水が始まったが、当初は夜間限定だったので、そのうちに解決するだろうと高を括っていた。
しかし猛暑の夏に全く雨が降らず、ダムの水もドンドン減り続け、それと共に給水時間がどんどん短くなる。
最悪時は、一日にわずか4時間しか給水されない事態となった。
24時間中20時間、水道の水が出ない状況では、まともな市民生活は不可能だ。
この時は、駅や空港のトイレに異臭が漂い、衛生面でも大問題だった。
顧客接待で寿司屋に行ったら、200ℓポリペール缶をずらりと並んでいて、職人がそれで手を洗いながら寿司を握ってくれたが、全く旨く感じなかった。
また、海水を持ち込んで営業していた当時のトルコ風呂で、泡が立たないので商売に悪影響が出ているとの裏話が、実しやかに流れたりもした。
我が家は新築アパートだったが、不思議なことに一日24時間、断水することはなかった。
アパートの住人の話しでは「すぐ横の地下に水道の本管が通っていて、止めることができない」とか、「大きな貯水槽に溜まっているから」とか、様々な憶測が囁かれた。
市当局からは、断水時間に水を使用することは厳禁されていたが、こちらは極めて姑息な性格なので、水道が使えるとなると、ついつい使ってしまう。
一歳児を抱えていたので、町全体が大混乱して騒いでいた水不足と無関係で生活できたのは、大変ありがたかった。
しかし、給水時時間外に水を使っていることがバレると、水道局に密告される。
「あそこだけがイイ目に合うのは怪しからん」との、殺伐とした雰囲気だったのだ。
その場合は、水道使用を全面的に禁止され、水確保のために、給水車の場所まで容器持参で出かけなければならない。
そのために、断水時間に水を使う時は、コソコソと周りを気にしながら、物音を立てない細心の注意が必要だった。
そんな経験がトラウマになっているので、今でも夏にダムの貯水が減ったとの情報を聞くと不安な気持ちになる。
だから、今年の長梅雨は、日照不足で農作物の生育が不十分とは言われるが、一方では水は大丈夫だとの安心感もある。
因みに、この渇水の間に先輩から教えられた「絶対に風呂の水は抜かないこと」は、その後もずっと守り続けている。
彼曰く、
・風呂の水は、断水時の水洗トイレに使えるし、
・最悪の場合は、家族が使ったミズナラ飲料用にも使える。
・だから風呂を洗う直前まで抜かずにいて、
・洗い終わったら、直ちに新しい水を張ること。
この教えは、ことあるごとに後輩にも伝えていたが、311大地震の後に、ある後輩から猛烈に感謝された。
水がなければ生活できない。
日本人は長らく、水と安全はタダで保障されていると安心しきっていた。
日本では、水は蛇口をひねれば出てくるモノと思い込んでいた。
しかし一度でも、水不足の経験をすると、水の大事さが骨身に染みる。
長梅雨のお陰で、今年は水不足に悩まされことはなさそうだ。
誠にありがたい。