昨年、50肩を発症し病院を訪問した。
その最初の診察では「肩甲骨にカルシウムが溜まり、場合によっては腱断裂の疑い」とまで心配されていた。
ところが治療薬として貰った、ロキソニン入り張り薬の効果が覿面。
二週間で、すっかり肩の痛みは消えた。
ただ、痛みが肩から上腕二頭筋に移動。
そこで再度病院に行き、診察すること30秒。
出された処方箋は、前回の50肩の時と全く同じ張り薬。
それを貼るだけの、家庭治療となった。
しかしこの張り薬は、ここでも抜群の効果で、貼りさえすれば痛みが消える。
唯一の欠点は、常用すると皮膚がカブレることらしい。
ところが当方、幸か不幸か面の皮同様、皮膚は強い。
何度貼っても、痛くも痒くもない。
結果的に二週間の貼り治療で上腕二頭筋の痛みも見事に改善された。
本来ならここで、症状完治で病院通い不要のハッピーエンドとなる。
ところがこの張り薬が、嫁にも有効と分かってきて様相が変わった。
嫁も、寄る年波の所為で、毎度毎度、腰が痛いとか肩が痛いとか、不調を訴えている。
そこで、試しにとこの張り薬を使用すると、途端に痛みが消える。
何でも、同じ張り薬を薬局で購入すると結構高価なので、我慢して一ランク安いモノにしていたらしい。
それが、夫が病院通いさえすれば、効果抜群の張り薬が、今迄のあまり効かない張り薬以下の値段で手に入る事実を知ってしまった。
そこから嫁の、主婦感覚が研ぎ澄まされてきた。
「アナタッ、未だ治っていないのだから、病院に行って、この薬を貰ってきてチョウダイッ!」
しかし、嫁には都合のいい話でも、オット側はカッコ悪い。
何せ、痛みはほとんど薄らぎ、もう完治したと言っても良いくらいなのだ。
それでも嫁の厳命が下ると、力関係から弱い。
そこで、ドナドナの歌にある、処刑場に引かれていく荷馬車の子牛のような心境で、医者と向き合う。
問診では、当然ながら医者から「どうでしたか?」と聞かれる。
すると、「かなり治りました…….けど、ちょっと捻ると未だ鈍痛が」などと、何だかんだ言い訳しなければならない。
会社員時代「本当のことを言わないことはあっても嘘はつかない」ことを仕事のモットーにしてきた身には、何とも居心地が悪い。
外傷があるのと違い、筋肉の痛さなど他人には分かるものではない。
患者が「まだ痛みが」と言う以上、医者は処方箋を書くしかない。
「では、前回と同じ張り薬治療を継続しましょう」となり、首尾よく張り薬をゲットする。
嫁は上機嫌で、「では次は三週間後に、また病院に行くのヨ」と命令してくる。
これは実に問題のある行動だ。
病院に行きさえすれば、薬が市内の薬局よりも安く手に入る。
しかも患者、医者、お抱え薬局のどこにも、マイナスが発生しない。
それは差額を、健康保険から補填されるからだ。
日本の医療制度は、健康保険を食い物にしている。
僕は、声を大にしてそう訴えたい。
これでいいのか、ニッポン!
しかし、だからと言って、一般庶民としては、安く入手できる手段があるのに、敢えて高いモノを買う気にはならない。
良心の呵責に苦しみながら、またまた病院に通って、心ならずもオットはしどろもどろな説明をする羽目になる。