2000年バリ島以来、妻と二人の海外旅行は20回以上、訪問国は20カ国を超える。
仕事の現役中は、海外の仕事仲間が気を利かせて、色々とアレンジしてくれる。
現地の美味いモノ案内や、観光場所手配まで手掛けてくれた。
トラブルが発生しても相談できるし、解決まで面倒を見てくれる。
だから旅行中は何一つ、心配する必要がなかった。
ところがリタイア後は、何をやるにも基本的に夫婦二人きりだ。
旅行日程も、劇場や博物館のチケット、移動の交通手段は全て、妻が日本国内で計画し手配する。
僕の仕事は、旅行中の荷物持ちと、緊急時の通訳担当。
と言っても、英会話レベルは妻と大同小異だが、僕の方が場数を踏んでいる分、厚かましいだけだ。
現地観光は、訪問先のツアー会社に頼む。
指定の集合場所までは自己責任だが、その集合場所が分かりにくい。
だから必ず前日までに、その場所を確認しておかなければならない。
そんな風に用心深く準備しないと、せっかくの観光チャンスを逸してしまうことになる。
しかしどれほど用心しても、やはりそこは外国だ。
治安が悪いし、周りに知人もいないし、日本語は通じない。
そんな海外では、とんでもないトラブルやハプニングが発生する。
その度に二人で、協力しながら乗り切ってきた。
今までの海外旅行トラブルワースト5だが、結果としてすべてを解決している。
だからこそ、現在も何事もなかったかのように生活しているが、後に振り替えると冷や汗ものばかりだ。
ただ解決手段は、会社でのトラブルシューティングそのものだった。
伊達や酔狂で、会社で苦労を重ねた訳ではなかった。
先ずは番外編から
2011年5月ロンドン観光で夫婦喧嘩
現地で、リーズ城・ドーバー海峡・カンタベリー大聖堂・グリニッジ天文台観光後のテムズ川下り(実際は川上り)ツアーに参加した。
午前9時集合のバスツアーで、あちこち見回った後テムズ川下り終了が午後6時。
ところがガイドが「今日水曜日はウェストミンスター寺院が6時半まで開いている」と余計な情報を教えた。
早くホテルに帰りたい僕に対して、典型的なおノボリさん観光客の妻が「折角だから行きたい」と主張する。
やむを得ず行ってみるとミス情報で、既に6時に閉館していた。
この時点でかなりアタマにきたが、その後ホテルまで帰る途中で完全に迷子になった。
「ピカデリー・サーカス駅」を聞いても、英語が通じない。
最後になって、フラットな日本式発音がダメで、最初の「ピ」を異常に強く発音しなければならないことが分かった。
だが、疲労困憊状況で一時間以上歩き回ったので、ホテルに辿り着いた後、言い出しっぺの妻に対してブチ切れて派手な夫婦喧嘩となった。
三年後の旅行出発前に、ラウンジで「お互いに我慢して喧嘩しない」約束の切っ掛けとなった事件だ。
ワースト5
2016年7月サンクトペテルブルグ心臓発作事件
当時は風邪か熱中症と軽く思っていたが、今になって症状を振り返れば、完全に心臓発作の予兆だった。
息苦しいし、胸の圧迫感が消えない。
数日前のドイツ・ニュルンベルグ旅行中の頃からおかしかったが、サンクトペテルブルグに入って以降全く食欲がなくなった。
水と果物しか受け付けないが、それでも二日間エルミタージュ美術館見物に出かけた。
そこでは、入館までに3時間も並ぶ。
しかもどこに行っても、うるさい中国人やイタリア人観光客にもみくちゃにされながら、広大な美術館を歩き回る。
クタクタになりながらホテルに戻って、後はひたすら休息をとる。
こんな日程を5日間繰り返し、初日にボルシチを食した以外は、ろくにロシア料理を楽しむことなく、列車でフィンランドに移動した。
不思議なことにヘルシンキ駅前の日本食店で、一杯2千円近いうどんを食べたら急に元気になったが、もしも心臓発作にまで至っていたら、ロシア滞在は一大ピンチだった。
ワースト4
2014年7月ミラノ駅スリ被害事件
ミラノの治安が悪いことは分かっていた。
この日は、ミラノからスイス・ガルミッシュに列車移動。
ミラノ駅は大混雑で、おノボリ妻はその様子が珍しく、動画で撮りながら予約車両に乗り込んだ。
ところが列車が動き出してすぐに、妻が左から右に袈裟懸けしていたバッグの口が開いていることに気が付いた。
中をチェックすると、財布がない。
右手でカメラを持って録画しているから、水脇は注意が緩慢になる。
スリもプロだから、そんな隙だらけの日本人を見逃すはずがなく、見事に仕事をされてしまった。
この場合、現金は諦めないとどうしようもない。
しかし何をさておいても、カードだけは使用禁止にしないと被害が拡大する。
僕が持っている同じカードで番号を調べ、その場で日本のカード会社に国際電話して、使用禁止処理を取った。
その後の旅行中に使用状況を確認するが、どうやらカードの不正使用は免れて一安心したが冷や汗ものだった。
ワースト3
この時の一か月の長旅の、最終宿泊地がミュンヘンだった。
しかもこの日は旅のハイライト、ノイスヴァン・シュタイン城見物の日。
早朝から列車でフュッセン駅を目指し、長年の念願だったお城見学に大満足してホテルに戻った。
その最後の最後で、ホテルに戻った妻が列車にスマホを落としたと気が付いた。
当時は海外で、日本のスマホのカッパライ被害事件も頻発していた。
ホテルのクラークに頼んで駅に紛失届を出したのだが、彼も「戻ってくるのは難しい」と慰めてきた。
前年のスリ事件に懲りた妻は、それまで緊張した旅を続けていたらしい。
しかも妻の住所録や2千枚の旅写真があるらしく、落胆ぶりも大きい。
ところが翌朝、駅から落とし物として日本のスマホが届けられたとの電話があった。
オットリ刀で駆け付け、5€負担で何とかスマホを取り戻すことができた。
妻は今でも、スマホの待ち受け画面がバイエルン・ミュンヘンの写真だったことで、駅員の対応が親切だったと思い込んでいる。
だが実際は、面倒な手続きに悪戦苦闘しながらも、早く紛失届を出したことが解決に役立ったものだ。
ワースト2
2014年6月チューリッヒでパスポート置き忘れ事件
チューリッヒからツェルマットに移動中の氷河鉄道で、全工程の三分の二ほど進んだころに大事件が発生した。
妻が「パスポートがない」と言い出したのだ。
ホテルに置き忘れてきたらしい。
慌ててホテルに電話したら、フロントで預かっていることが判明したので、続いて回収方法を検討した。
ところが乗車中の列車は、何せ世界一遅い特急で、途中下車で引き返しなどできない。
その氷河鉄道を利用してツェルマットからチューリッヒまで戻るのは、乗換えと待ち時間まで含めれば8時間はかかる。
その日のうちに取り戻すことは、絶対に不可能だ。
しかしパスポートなしでは、その後の旅を続けられない。
最優先はパスポートを取り戻すことなので、一旦ホテルにチェックインして、チューリッヒへの移動手段を調べてみた。
すると、氷河鉄道なら時間がかかるが、普通の特急ならチューリッヒまで、半分の3時間半でいけることが判明した。
それなら翌日には、ツェルマットまで戻ってくることが可能で、その後のスケジュール変更がわずか一日分で済む。
チューリッヒ-ツェルマット間を一往復半することで、丸々一日は無駄にしたが、その後は予定通りの旅に戻すことができた。
ワースト1
2017年10月ワルシャワ空港搭乗便キャンセル事件
この時の旅行はワルシャワから始まり、次の目的地がチェコだった。
ワルシャワ航空の係員が日本語ベラベラで、簡単に手続きが終わり、出発まで搭乗口前でコーヒーを嗜んでいた。
ところが待てど暮らせど、搭乗口案内がない。
虫の知らせだが、海外に出張した時の経験では、こんな時は何かトラブルが発生ししている。
空港内の受付に確認に行くと「アナタの搭乗便はメカニカルトラブルでキャンセルになった」と伝えられた。
搭乗手続きが全て完了後、出発予定時間のわずか1時間前の事件だ。
窓口に詰め寄ると「直行便はないが、ミュンヘン経由に切り替えられる」らしい。
その場でチケットは発券してくれたが、手続きの説明が早口過ぎて理解できない。
「列に並べ」と言うから長蛇の列で順番を待つが、やっと自分の番になったら「ここではない、アッチ」と出口を指し示す。
先ずは預けた荷物を取り戻さないといけないが、到着便の受け取り場所はあるが、出発便についてはどこに行けばいいか分からない。
到着したどこぞの航空会社クルーに聞いて、やっとLost & Foundで手続きすることが分かった。
時間はないし、次のホテルの予約時間があるし、ミュンヘン空港での乗り継ぎ時間が短いしで、これほど焦った事件はない。
しかし、これほどトラブルに遭遇しながら、一人でならどうしようもなくても、二人なら解決できる。
志さえあれば、何とかなるものだ。