昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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親父

洗面場で鏡を見て驚いた。

「オッ、親父がいる!」

 

勿論そんなことが起きるわけがない。

親父は35年以上も前に、物故している。

よくよく見るまでもなく、そこに写っているのは僕の今の姿だ。

 

何とも親父に似てしまった。

まさしく「似てしまった」のだ。

 

自分では、永遠の貴公子の積りだった。

元より、眉目秀麗、水も滴る美男子のはずだった。

それに比べ、記憶に残る親父のイメージは、ハンサムには程遠い。

欲目で見ても、普通の爺さん顔だった。

しかし歳を重ねるに従い、そんな親父ソックリさんになってしまう。

 

そう言えば、親父はおっちょこちょいの見栄っ張り、セッカチで慌て者だったが、それは丸々僕が引き継いでいる。

これは、ご先祖様から連綿と続き、受け継がれた我が一族の象徴だ。

僕にとっては、これ以上もこれ以下もない現実だ。

高望みは望めないし、妙に自分を見下す必要もない。

成れの果てかもしれないが、遺伝子の力とは何とまた恐ろしい。

 

尤も、美貌の点では不満があるが、親父の性格は好きだし、親としてだけでなく、人間的にも尊敬もしている。

常日頃、何かあるたびに「あの親父の息子で良かった」と思う。

親父は、自分に学歴がなかったので、子供たちの勉学への投資には全くケチらなかった。

お陰で、必要な参考書や好きな本は、何不自由なく入手できた。

そんな親の期待に応えるには、僕に真面目に努力する才能がなかったので、中途半端なキャリアで終わった。

親父にとって、それは残念だったかもしれないが、別段不満を言うこともなかった。

僕の方も、親父への感謝の気持ちは変わらない。

 

親父は共産党のシンパだった。

自民党社会党に比べ、共産党支持者は一所懸命に活動していると評価していたからだ。

真面目さが一番大事だとの思いは、不真面目だった息子への不満だったのかもしれない。

選挙の度に、共産党の候補者に投票していた。

赤旗日曜版も購読するし、松本清張共産党シンパと知ると「清張を応援する」と、松本清張全集まで買い込んでいた。

テレビでドラマで共産党員の出演者がいると、まるで自分の家族のように自慢していた。

 

ところが僕の方は、数多ある政党の中でも、共産党が一番嫌いだし、一番警戒している。

共産党シンパの親父とは、この点ではいつも鋭く対立する。

お互いに議論で自己主張すると、必ず平行線で水掛け論になる。

すると親父は「何故息子は、共産党の良さを理解できないのだろう?」と、悲しそうな顔をする。

それが可哀そうになって、僕が結婚した後は、敢えて政治の話題を避けることにした。

そのうち親父の共産党熱も冷めて、段々投票にも行かなくなった。

晩年は「共産党にも差別がある」と発言するなど、共産党の欺瞞性にも気が付いたようだ。

 

共産党シンパになるくらいだから、親父は民主的だった。

弱い者、恵まれない人には、殊の外同情的だった。

家でも、一番小さい人間が最優先で、そのお陰で末っ子の僕は、ずいぶんとイイ目に合い続けた。

僕自身もそんな経験から、嫁や子供がどう感じているかは知らないが、親父以上に民主的な生き方を目指してきた積りだ。

「給料は夫婦の協働の結果なので、夫が自分の稼ぎと言うのは間違い」ほ、丸々親父からのパクリだ。

親父はいつまでも、僕の誇りなのだ。

 

そんな親父に、そっくりの顔になった。

「嬉しさ三分の一、驚き三分の一、そして無念さが三分の一」の思いで、鏡を見つめる。