昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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認知症

今回役員に推薦された。

正式には4月1日就任なので、当日の我が家は胡蝶蘭が溢れ、祝電が引きも切らないことだろう。

このように我が能力が評価されるとは、誠に愛でたい!

 

……のはずだが、

同時に推薦された、仲間たちの表情は全く明るくない。

全員が「マァ仕方がない」との、諦め感が漂っているのだ。

左様!

実は、町内会自治会の役員のオツトメの順番が回ってきたのだ。

まさしく、来てしまったのだ。

 

当方が推薦されるまでに、幾多の人が打診されたようだ。

しかしその悉くに「体が不自由」とか「老人の介護で手が回らない」とか、様々な理由で断られたらしい。

虱潰しの結果、何とか五体満足でノホホンと過ごしている当方にお鉢が回ってきた。

こちらもあれこれ断る理屈を考えたが、どれも就任できないほどのパンチ力がない。

結果として「シャーナイ、止むを得ませんなァ」となった次第だ。

 

この役員候補が集まる第一回の会合でも、一悶着がある。

今度は「誰が会長を引き受けるか」、役割り分担の押し付け合いがある。

この場面では、ひたすら沈黙を守るに限る。

するとその沈黙に耐えかねた人が議論の口火を切ることになり、その結果はその人が会長を引き受けることになる。

そんなこんなで、当方は環境委員の大命を拝することになった。

 

環境委員って物々しいが、やることは週一回の防犯パトロールとゴミ当番の管理。

偶に不心得者がゴミ出しルールを守らないことがあると、市役所に連絡して残ったゴミを引き取ってもらう。

簡単な仕事ではないが、さほど負担がかかることもない。

何とか一年間ボランティア精神を発揮して、安心安全な地域生活に貢献するぞ!

と、そんな気持ちの昂ぶりも皆無だ。

 

そんな役員就任を間近にしたある日、我が家のインターフォンがなった。

最近のこの手の訪問者は、家修理を勧める詐欺まがいの輩が多い。

しかしこの日は、見るからにフツーの中年女性が映っている。

出て行って話を聞くと

 ・自分は数件先の○○の娘

 ・今は結婚して別のところに住んでいる

 ・母親は数年前に死亡し、現在は父親が一人で住んでいる

と話し始めた。

 

続けて娘さんの話は

 ・父に認知症の症状が出ている

 ・本人はヤル気があるが、ゴミ当番はこなせないと思われる

 ・ついては父をゴミ当番から外して欲しい

と言うものだった。

 

○○さんは良く知っていて、その昔は某大手銀行員だった人だ。

我が家周辺の自治会コンペには、必ず夫婦二人で参加していたが、ある回の優勝者が「苦手のバンカーを上手く脱出出来たので」スピーチしたら、その途端に「ボク、元バンカー」って大声を張り上げ、一瞬にして座を凍り付かせたこともある。

ユーモアのセンスがあるとは思えなかったが、町内会の会合では人一倍大声で場を盛り上げるなど、社交的な性格の人だった。

そんな仲の良かった奥さんに先立たれた後は、毎日我が家の前を通り過ぎて近所の喫茶店で昼食をとっていたが、前かがみにチョコチョコ歩く姿が一気に年寄り風情になり、彼の現役時代を知る当方にはその余りの変わり方を驚いていた。

 

そんな彼が認知症を患った。

何でも娘さんには、彼が散歩の後に自宅に帰ることができず、行方不明で大騒ぎになったことで判明したらしい。

娘さんの要望については、当方が晴れて就任した後の役員会で議論することにして引き取ってもらった。

 

しかし年寄りの認知症は、他人事ではない。

本人は分からないのだから、実は自分で自覚していないだけで、とっくに当方も発症しているかもしれないのだ。

特に連れ合いに先立たれると、かなりの確率で認知症になるようだ。

実際にどんなに仲が悪かった夫婦でも、一方が死んでしまうと残った側は寂しさの余り故人を懐かしがり、世を儚む傾向が強い。

 

この対処法は唯一つ。

連れ合いよりも早く死ぬことに尽きる。

しかしあまり早く死んでしまうのも癪の種だ。

ならば連れ合いが死ぬちょっと前に、自らの寿命が尽きる道を選びたい。

しかし人間は、生れてくることと死ぬことは、なかなか思うに任せない。

ひたすら神様のご加護を祈るだけだ。

日頃は無宗教無神論だけどやたら縁起を担ぐ当方だが、もしもそんなささやかな庶民の望みが叶うなら、全知全能の神様を熱心に帰依する模範的な信者になるのだが。