昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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老環境活動家の独り言

環境問題活動家、スウェーデンのグレダ・トゥーンベリ嬢の向こうを張って、老いた僕もまた、環境活動家の道を歩んでいる。

 

尤も本家のグレダ嬢は、実際は中国資本の援助を受けて活動しているので、世界最大の二酸化炭素排出国、中国へは文句ひとつ言わない。

世界に向けては、目を血走らせた演説で勇ましさを見せる姿とは、見事なまでのダブルスタンダード振りだ。

レダ嬢は、環境負荷が大きいからと飛行機は利用しないが、わずか数人で空間を占有するヨットで優雅に移動する。

彼女が乗ろうと乗るまいと無関係に、大勢の客のために運航している飛行機よりも、わざわざ環境活動家のために仕立てられたヨットの方が環境に優しいとは、こちらもまた絵にかいたような偽善ぶりだ。

 

その点、老環境活動家の僕は、中国もアメリカへも全く遠慮がなく、ひたすら日本の国益しか考えていない。

その活動振りは地味だが、地球環境に(若干ではあるが)間違いなく貢献している。

具体的には、ゴミを小さくして捨てているのだ。

例えばチリ紙。

我が家では、使用後のチリ紙はチャチャッと丸めて、ゴミ箱に放り込むのが常だった。

紙のゴミも、ほとんどそのままの状態でゴミ箱行きとなっていた。

しかしそれでは、アッと言う間にゴミ箱がいっぱいになる。

その分、毎週二回の収集日に出すゴミ袋の量も、半端ではなくなる。

 

そこで、チリ紙のゴミは、小さく握りつぶして捨てることにした。

また紙ゴミは、細長く折りたたみ、更にそれを小さく丸める。

ただそれだけで、ゴミの量が五分の一ほどに低減した。

これを我が町の自治会員全員が心がければ、ゴミ収集も、ゴミの処分の手間暇も、一気に半減以下になるに違いない。

 

レダ嬢のように、大上段に振りかぶり、大向こうを唸らせる派手なパフォーマンスだけが環境にやさしい活動ではない。

むしろ、グレダ嬢のような訴えは、南北問題、即ち先進国と発展途上国の間の大矛盾を浮きあがらせてしまう。

既に文明の利器を甘受している先進国の連中が、いくら「二酸化炭素を減らそう」と綺麗ごとを言っても、発展途上国では「我々は今から便利さを味わうのだから、勝手なこと言うな」と反発されるのがオチだ。

また環境活動家たちも、今の自分たちの便利さを全て放棄するほどの覚悟もない。

 

実は、環境問題の深刻度は、文明の進化と反比例している。

我々が便利な生活を追求した結果が、世の中の二酸化炭素排出量を増やしているのだ。

さりとて、一旦便利な生活を味わった人間に、もう一度不便な生活をと強要しても、誰も納得しない。

 

小泉進次郎環境大臣が、期待外れの存在だったとガッカリしている人は多い。

確かに大臣就任後の小泉進次郎は、まるで化けの皮がはがれ中身のなさが露呈された。

しかし敢えて小泉進次郎を庇えば、彼には同情するべき点もないことはない。

環境大臣として言いたいこと、やりたいことと、実際にできることにはとんでもないギャップがあるからだ。

小泉進次郎得意の、言葉だけの遊びで、オバチャマたちを騙し果せる世界ではない。

世界が喜ぶことを約束すれば、日本が自ら首を絞めてしまうことになるのだ。

小泉進次郎は、大臣就任後にそんなことをレクチャーされ、身動きが取れなくなってしまったのだ。

 

環境問題に関して、電化製品を使わない生活に戻す以外に我々ができることは少ない。

しかし、既に生活の隅々に生き渡った家電製品を使わない生活を、我慢して受け入れる人は、世界中探してもいないだろう。

今の日本では、ウォシュレットトイレが当たり前だが、これを昔のスタイルに戻して生活できる人は、果たしてどれほどいるのか。

精々、僕のような老環境活動家に倣って、ゴミを小さくして捨てることくらいから、環境意識を高めるしかない。