昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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天才ってツライみたい。

天才は神に選ばれし人であり、才能に溢れ、人から羨ましがられる存在のはずだが、現実を見るとそうでもない。
音楽の世界では、モーツァルトや、ジョンレノンやカレンカーペンターがなぜ長生きできなかったのか。美空ひばりは、なぜ個人的な幸せを享受出来なかったのか。
天才ポップシンガーと騒がれた弘田三枝子は、なぜ今日まで己の才能を開花できずにきたのか。

他の世界でも「天才的」との言葉は、裏側に悲劇的要素を伴っているとしか理解しようがないケースが多々見受けられる。
天才バッターと言われた榎本喜八は、野球界に残ることなく姿を消してしまった。
現在の天才打者、広島カープ前田智徳、サッカー界の天才ストライカ久保竜彦にしても、変人の代表みたいに見られており、引退後に世の中に受け入れられる保証は全くない。

天才の領域から、更により高いものを目指す場合は、もっともっと物凄い才能が必要となるのであろう。
多くの天才たちは、自分の才能の不足を嘆き、髪をかきむしって苦しみ、果ては自殺したりしている。
不幸な天才は、おそらく数え切れないほどたくさん存在するはずだ。

もともと、天才とは、普通の人に見えないものが見えたり、聞こえない音が聞こえたりする感受性や観察力が人並みはずれた人たちであり、だからこそ、世間一般からは隔絶した、もっと言えば、かなり相当に、変人の部類になってしまう人たちが多い。
天才ほど妬み嫉みの対象となり、チョットした事で一斉に足を引っ張られ、頂点から引き摺り下ろされてしまう。

また、普通なら何でもないことや、諦めれば片付く問題でも、天才にとっては「許せない!」となると、非妥協的になり自らを追い込んでしまう。
そうなると、極めて高い次元に到達している天才ほど、追加能力の余裕は少ないのだから、「自分にもっと能力が欲しい」と深刻に嘆き、どうしようもない無間地獄に陥ってしまう。
神の領域に挑戦する資格と才能を与えられたばかりに、むしろ悩み、嘆き、苦しみを感じざるを得ないとは何と言う皮肉だろうか。

そんな人達から見て、はるかに低い次元で生活している僕は、「今日の昼飯、何にしようか」とか、「嫁さんに内緒で、ゴルフクラブを買おう」とか、本人には結構シリアスでも、社会的に何ら危害も貢献もない悩みを抱え、それはそれでむしろ楽しんでいる。

凡人でよかった。