昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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リサイクルは本当にいい事なのか?

多くの人から批判されることを覚悟して書くが、リサイクル活動は偽善だ。
少々長文になるが是非ご一読いただき、ご意見を聞かせてほしい。

一時期小学校で牛乳パック回収運動が盛んだった。
競って牛乳パックを提出、家族揃ってさも自然環境に優しい運動に参加したかの如き満足感に浸っていた。
たくさんの牛乳パックを提出したいものだから、余計に牛乳を買うなどと笑えないブラックジョークみたいな事まで発生した。
背景に、限られた資源を守るためにリサイクルは絶対的に正しい手段との認識があり、主に主婦を先頭に「それリサイクル!」との掛け声が木霊していた。

ところで、集められた牛乳パックはいかなる運命をたどっているのだろうか?
牛乳パックは食品用なので、もっとも高品質で高価なパルプで出来た紙にポリエチレンがラミネートされている、極めて贅沢な材質から出来ている。
リサイクルされると、かなりの高度な技術で紙とポリエチレンが分離され、各々が再利用されるのだが、この分離には石油や石炭を燃料として作られた電力や、貴重な資源の水が大量に使用される。
そのためリサイクル商品は、最初のバージン商品よりも品質が劣っているにも拘らずコストが高くなってしまう。

何のことはない。
「リサイクルをやってるゾッ」との満足感を得るため、更に資源を使っているのである。
よくリサイクル紙使用と書かれた名刺をもらうが、コストは圧倒的に高いものであり、差し出す側から、「我が社はリサイクルに参加していますとの対外的ポーズなんです」との正直な説明がなされる。
これが、極めて一般的なリサイクルの実態である。
僕なんかは単純に、「下手に資源を使って非効率のリサイクルよりも、燃料として再利用するほうが遥かに合理的」と思っているが、そんなことを言おうものなら、人非人みたいな目で見られてしまう。
多くの善意の人たちにとって、リサイクルは絶対に正しいのである。

しかし、牛乳パックだけではない。ペットボトルを見てほしい。
全生産量のどれほどが回収されているのか知らないが、あらゆる場所にペット容器が捨てられている状況から判断すると、圧倒的にリサイクルされている量が低いはずだ。
「リサイクルが出来る」、あるいは「リサイクルしやすい」とPRされた結果、一斉に新製品が登場し、町中が牛乳だらけ、清涼飲料水だらけになっている。
昔は水道水を飲んでいたのに、今やペットボトルに入ったミネラルウォーターが必ず冷蔵庫に鎮座している。日本の水道水は充分衛生的だが、健康の為と称してミネラルウォーターを飲み慣れるともう逆戻りが出来ない。
リサイクルという錦の御旗を得て、物理的にリサイクル不可能な量が生産され、消費されている。

本当にリサイクルを考えるのなら、自然のものしか使わないことだ。
そうすれば極めて高価で使い勝手が悪い商品ばかりになるが、全てが自然に還り地球を汚し痛めることもない。
その代わりに今の地球上の人口を養うことも出来ず、多くの人が生息不可能となり死滅せざるを得なくなる。
「プラスチックは分解しない。自然にやさしくないから駄目だ」と声高に主張している人が、プラスチックを原料にした服を着ている。プラスチックが大量に使用されている車に乗っている。また、食品を保護する為に大量にラップフィルムを使っている。これら全てを天然素材使用に切替えた途端、購入出来ないほどの価格になり、且つ長期使用に耐えない。安価で便利な生活が出来なくなってしまう。

貴重な資源を使ってて作られているにも拘らず、電力なんて使い放題。
快適な食生活の為には冷蔵庫は必須であり、これに24時間連続で電力を使用して温度を一定に維持している。
テレビが瞬間的にターンオンになる為、常時電力を流しておく。
今や洗濯機はあらゆる家庭の必需品。洗濯板でゴシゴシと汚れ物を洗っている人など見かける事はない。
冬はいつもお湯が出てくる水道。果ては、座った時お尻が冷たいからといって便座まで暖めておく。

我々人類は、これほど便利で健康的な生活を手に入れた代わりに、地球全体を回復不可能にまで痛めつけてしまった。地球を救う唯一の手段は、地球にとって最悪の天敵である我々人間の数が激減し、且つ残った人たちが昔の不便な生活に戻るしかない。
我々が、きれいで衛生的で便利な生活の追及をあきらめない限り、美しい地球の復活はない。
中途半端なリサイクル運動で地球を救おうなんておこがましい。

リサイクル活動は偽善だ。