昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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「内弁慶」が「外弁慶」を駆逐する

「内弁慶」なる言葉は良く聞く。
外ではからっきし駄目だが、内部では威張っている意味で、あまり良い場面では使われない。

しかし、現実の会社では、内弁慶ほど重宝がられている。
コンプライアンスやコーポレイトガバナンス等々、過去日本に存在しなかったコンセプトが重要になって以来、今や会社では管理志向がドンドン強くなってきている。
その結果、あらゆる業務が内向きとなり、経営者は、内弁慶の分析屋のプレゼンテーションに頼りきりとなり、現場に落ちている臨場感あふれる情報が採用される事は稀有となっている。
そして、「結果を出せばいいだろう」的な、感覚的行動は排除されている。

「外弁慶」なる言葉は、日本語にないと思うが、実は結構たくさんの例がある。
内部では全く冴えないが、一旦外部との接触となると、一気に存在感が増してくる人である。
口下手で、要領が悪いが、人間的魅力に溢れた人達が多いのも特徴だ。
しかし、本来は経営の中核として活躍してしかるべき個性的な人材は髀肉之嘆を囲っているケースが多い。

豊臣政権の生い立ちと末路を見ると、今の企業とよく似ていることが分かる。
政権の勃興期は、加藤清正福島正則のような豪傑で喧嘩が強い人物が大活躍した時代だ。
ところが、政権が落ちついて来ると、今度は経理や総務の管理業務に長けた人物が重要になる。
石田光成はその代表的存在だ。
そして、管理畑と現場はことごとく価値観が違っている。
両グループ間では確執が絶えなくなるが、現場育ちは口喧嘩では管理畑に勝てるはずがない。
勢い、「ここまで組織を立派にしたのは我々なのに、木っ端役人風情が威張っている」と強烈な不満を持つ。
しかしいくら憤っても、現場育ちは自分の思いをうまく表現できず評価もされないので、更に欲求不満が募る悪循環となってしまう。
豊臣政権は、内部対立の果てに、結局は超保守的経営者の徳川家康により崩壊させられてしまう。

現在の会社は、どこもここもアメリカの成果主義や、合理主義こそが優れた経営と信じ、頭でっかちな経営姿勢で全く同じような事を考えている。
各社の長期ビジョンや中期計画を見ると、恐ろしいほど同じ事を考えていることが分かる。
日本人は元々が横並び体質なのに、株主代表訴訟によって、経営者個人の責任を追及されることを避けたい為、徳川家康的独自発想のユニークな経営方針を貫く事が難しくなり、その結果、会社は見事に管理主導の内弁慶的発想が蔓延し、全体が総評論家状態となっている。

先見性と個性に溢れたリーダーによる成功例が本になったりしているが、実態を聞くと、偶々のまぐれ当たりだったり、内部では評判の悪い内弁慶経営者だったケースも多い。
今や、サラリーマン社会では、真の意味で魅力的なリーダーは存在しないのではないだろうか。