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石原慎太郎都知事の勘違い

新銀行東京が1000臆円の巨額債務を抱えているようだ。
もし倒産ともなれば、日本発のペイオフとなり300臆円以上の預金が紙くずになる。
銀行が生き延びるために、更に400臆円の追加融資が必要らしく大騒ぎとなっている。

新銀行東京が、石原都知事の肝いりで出来た銀行であることは異論を待たない。
しかし、設立理念が「普通の銀行が貸し付けない顧客に貸し付ける」のだから、リスクが大きいのも当たり前。
また、低金利時代に他銀行よりも預金利子が高いのだから、多くの人が預けてくるのも当たり前。
これ全て、東京都と石原都知事のバックアップがあったから出来た事で、高い金利で金を集め、リスクの大きい先へ融資していれば行き詰るのも当たり前。

問題は、失敗した経営の責任はどこにあるのかだが、石原都知事新銀行東京の現経営者の発言は全くいただけない。
事実は、ひょっとしたら彼らが言う通りに「実は前経営者の放漫経営」が原因かもしれない。
しかし、それは全て銀行内部での責任追及のあり方で、外部に対しては就任したその日から発生する全ての出来事に、現経営者が責任を取らねばならない。
組織としての責任のとり方はそういうものだ。
過去を紐解いても、山一證券で倒産現場に立ち会った社長は、彼以前の経営のあり方に数多の不満があっただろうが、「社員に罪はない。悪いのは全て我々経営者だ」と泣きながら謝罪した。
当時は、経営に失敗した情けない経営者の代表のように扱われたが、責任の取り方としては絶対に間違っていない。

さて、問題の新銀行東京はどうか?
こちらは、石原都知事も現経営者も口を極めて、「自分は悪くない」とか、石原に至っては「自分だったらもっと大きな銀行にしていた」とか、盗人猛々しい開き直り発言に終始、自己弁護に徹し責任を必死に回避しようと、見苦しいほどにあがいている。

その点、僕が一緒に仕事した社長は立派だった。
前任者の負の遺産だったのだが、担当したばかりの僕が責任追及の矢面に立った事がある。
彼はその時、「心配するな。僕も必ず一緒に責任をとる。社長なんて責任をとる為にいるものだ」と言い切った。
幸い、事態は解決したが、この言葉にどれほど勇気付けられたか分からない。
このような社長と一緒に仕事出来た事は大変幸せだった。

一方の石原都知事が得意の弁舌を駆使して、あるいは詭弁を弄してまで守ろうとしているのは一体何なのか?
自分の過去の名声なのか、はたまた、失敗を認めたくない性格なのか?
しかし、「うまくいけば自分の手柄、悪いのは他人の所為」は組織の長たるものの態度ではない。

言い訳は身内だけですればよい。
外部に対しては、潔く自らの非を認め、責任をとるべきだ。