経営者が「若い人の話を聞きたい」とか言って、若者達と膝突き合わせて会食する光景が見られる。
「今からの会社を担う人材だから」とか、「既成概念にはない、斬新な考えを持っているから」とかの理由のようで、若者を奮い立たせるパフォーマンスとしては効果があるかもしれないが、残念ながらこれは全くの勘違い。
若い人達が特別に素晴らしい考え方を持っていると思うのは、単なる幻想でしかない。
実際に聞いてみると、大半の意見が世間知らずの青臭いものでしかない。
しかし若者特有の、眦を決した形相で生一本な意見を吐くと、それなりに聞く側に新鮮な印象を与える為に、内容が無くても説得力があると思ってしまう。
何故だろう?
どうも、その昔明治維新を仕出かしたのは多くの田舎物の若者だったとの思い込みから、「世間ズレしていない人ほど正しい意見を持っている」と錯覚したのではないだろうか。
頑迷固陋な先入観に凝り固まった年寄りからは、新しい切り口の見方など出てくるはずがない。
一方の若者は世間の悪い常識に囚われていない。
だから、若者だけが期待出来る。
との変テコな三段論法が、「若者と話せば事業へのヒントが得られる」願望へとつながる。
若者もまた自意識過剰に、「自分達だけが世界を変えることが出来る」と勝手な使命感に燃え、口を尖らして「既成勢力を乗り越えよう、さあ革命だ」と主張する。
今や誰も振り向かなくなったが、往時の学生運動がこの典型的なパターンだった。
当時は、「純真な学生の主張にも耳を傾けるべき」と同情的な意見の方が多かったが、その成れの果てが連合赤軍事件で暴露されてしまった。
若い人の意見なんて、所詮はあんな程度なのだ。
もともと年寄りの意見が全部悪いわけでも、若人の意見が全部正しいわけでもない。
いずれの世代でも、正しい意見を吐く人もいるし、思い込みによる間違った意見を持っている人もいる。
ケツの青い若者の意見を「有り難や」と押し抱く、年寄りの自信のなさが滑稽そのものだ。