年寄りの致命傷が、転倒することだ。
僕も散歩中に一度、見事なまでにひっくり返ったことがある。
前を行く爺さんの足が余りにも遅いので、カーブで追い抜こうとした途端、わずか数ミリの側溝の段差に足を取られた。
顔面と体のあちこちに擦り傷ができたが、幸い眼鏡をしていなかったので大事には至らなかった。
しかしかなりの人が寄ってきて「大丈夫?」と心配されたのに参ってしまった。
何より何でもない場所で、派手にコケタのがカッコ悪い。
更にアタマに来たのは、転倒の原因になった爺さんまで同情してきたことだ。
「オマエの所為だ!」と罵りたくなったが、そこは「分別盛り」の大人の対応に終始する。
「大丈夫です」と、スックと何ともなかったように立ち上がり、取り敢えずは現場を遠く離れて場所に移動して、コッソリ応急治療した。
その転倒の原因は、偏に摺り足で歩いているからだ。
いつの間にか、楽に歩く癖が身に付いてしまっている。
そのため、家の中で畳のへりにつまずくケースも出てくる。
また、ほんのちょっとした障害物につまずいても、体のバランスが壊れる。
すると、体を支えるための次の一歩が出ない。
また年寄りの骨は、大半が骨粗しょう症で脆くなっている。
もしも転倒すると、必ずどこかを骨折してしまう。
これが致命傷になるのだ。
年寄りが一旦骨折すると、治りが遅い。
歩けない状況が続くと、今度は筋力が衰える。
実際に入院した人なら分かるが、若者でも一週間も入院すると、一気に足の筋力がなくなる。
ましてや年寄りは、すぐに寝たきり状況に陥る。
結局は、転倒が原因でボケ老人になるケースが多発するのだ。
室内でも、家の外でも、年寄りは転倒の恐怖と戦いながら生きている。
これを防ぐためには、足を大きく振り上げて歩くしかない。
これさえ注意すれば、絶対に転倒などしない。
しかしそんな歩き方は、結構ハードだ。
特に、辛く面倒なことを嫌がる年代になると、いつの間にか元の木阿弥で、摺り足歩行に戻ってしまう。
しかも、日本古来の伝統は、摺り足が必須だ。
バタバタ歩きは品がないと、見做されているからだ。
茶道や華道の習い事では、摺り足でなければ形にならない。
この世界の上級者の大半は、実は年寄りがハバを利かせている。
免許皆伝とかの特権を維持するためにも、摺り足を奨励するのは年寄りの生活の知恵かもしれない。
勝負の世界の柔道や相撲では、足を大地から離してしまうと、一気に負ける確率が上がる。
こちらは、負ければ名声だけでなく、収入にも響くので、口を酸っぱくして摺り足歩きを叩きこまれる。
しかしそんな古式床しき摺り足こそ、年寄りの大敵とは、若い連中は絶対に気が付かないことだ。
そんな訳で、歩くたびに「足を上げる」ことを自分に言い聞かせるのだが、年寄りの場合は、その戒めをすぐに忘れてしまう。
水前寺清子が歌った「365歩のマーチ」は正しい。
♫腕を組んで足を上げて休まないで歩け、それワンツー・ワンツー♫
で歩けば問題ない。