昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

朝青龍を批判する文化人達

やくみつる内館牧子、黒鉄ひろし、テリー伊藤、そして玉木正之
少なくとも以上の文化人達は、徹底的に朝青龍を批判してきた。

概ね彼らは、以下の様に主張する。
・日本の大相撲は神事、競技、興行の合わせ技、とりわけ力士は神様を奉る異次元の存在。
横綱はその最高峰なので、単に強いだけでなく品格が求められる。
朝青龍は強かったが、最後まで日本の伝統文化を理解できなかった。
・これは教育の問題で、朝青龍を増長させた親方、相撲協会に問題がある。
黒鉄に至っては「横綱は神に一番近い存在。子供達に相撲を教えるのは美徳ではない」と、朝青龍が拘った子供相撲大会の開催にも疑問を呈していた。
しかしこれは、神道そのものの考えだ。
彼らは、「相撲取り、とりわけ横綱神道の精神を理解しなければならない」と主張しているのだ。

我々日本人は、このような考えは理解できる。
「土俵に神様がいるので、不浄の者(女性)は絶対に上ってはいけない」と言うと、国際的には差別騒ぎになるが、日本人は納得する。
しかし外国人相手には、大変難しい話だ。
日本人の宗教感では多神教は当たり前だが、国際的には多数派ではない。
特に一神教を信じる外国人が力士になったら、厄介な事になる。
琴欧州の宗教が何かは知らないが、もしも欧米で一番多いクリスチャンなら、「土俵の神様を敬え」と言うのは過酷な要求になる。
日本人と違い、絶対神に対しては常に正直であらねばならない敬虔な信徒は、「長いものには巻かれろ。とりあえずは神道の神様を信じよう」なんて考えないだろう。

科学万能の現代でも、チョンマゲを結い、マワシ一つでパフォーマンスをする相撲が、神道を基盤とした特殊な競技である事は間違いない。
しかし、今や日本人力士だって神道精神なんて考えながら相撲をとっているわけではない。
ましてや、信じる神様が違う外国人力士に、「神道を理解するべき」と言っても無理な相談だ。
朝青龍が大嫌いな文化人達は、「キチンと教育すれば第二の朝青龍は出現しない」と思いたいようだが、事が信仰となるとそうは簡単ではない。

唯一の解決策は、力士の条件に「神道を信仰する事」(もしくは神道の精神を理解する事)を義務化するしかない。
即ち、外国人力士を認めない事だ。
親方は、今でも日本人に限定されている。
力士だってそうしないと、いくら「日本の伝統」と力みかえっても、早晩「土俵の乱れ」とか「品格」とかを問題にせざるをえなくなる。
しかし今の日本人若者に、そんなアナクロニズム文化がどこまで理解されるのか!

既に現在の相撲人気を支えているのは、大多数の外国人力士だ。
そんな彼らに、日本神道の信仰を強制できるのか!
朝青龍を批判する文化人達は、「相撲は神事」と力説する事で、図らずも国際化で生き延びようとした大相撲が内在する大矛盾を暴いてしまった。