昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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復旧途上の仙台市内だが......

仙台市に、我が社の顧客がいる。
3月11日の大地震で、社員が二人死亡したり、県内の営業拠点が津波で消失したり、かなりの被害を受けたが、復活に向けて全社を挙げて努力している。
直後にも被災見舞いに行きたかったが、交通手段が確保できない。
やっと4月後半になって新幹線が開通。
すぐに連絡を取ると、「お気持ちは大変ありがたいが、被災した社員フォローで県内を隈なく回っている段階なので、連休明けにして欲しい」と要請された。
二カ月以上経ち、我が家の近辺では余震にすら鈍感になっているが、現地では未だに復旧作業の真っただ中にある。
そんな仙台に、5月19日に出張に赴いた。

新幹線の「はやて」は、東京、上野、大宮の次は仙台までノンストップ。
通常なら1時間40分程の時間で到着できるはずだが、やはり地震の後遺症か、所要時間そのものが2時間以上の特別ダイヤとなっている。
それでも11時には仙台に到着。
先行して前日から現地入りしていた同僚によると、復旧工事に携わる作業員が多いので、ホテルは満室、レンタカーを借りるのも一苦労したらしい。
ごく一部にブルーシートをかけた屋根が残っているが、市内は震災前の賑わいを取り戻している。
人通りも、車の交通量も、数か月前と変わらない。
「仙台も立ち直りが早いな」と思いつつ、顧客とは午後のアポなので、レンタカーを駆って最も被害がひどかった若林区に行ってみた。

ところが、車が進むほどに雰囲気が変わってくる。
道路の両脇の電柱が大きく傾いているし、電線は全部撓んでいる。
道路も凸凹で、至る所に「段差あり」の立て看板があり、車のスピードも出せない。
マンホールが飛び出しているが、その分だけ道路が陥没した事になる。
丁度田植えの季節なので、水を張っている田んぼもあるが、依然として海水が残っている田んぼも残っている。
更に進むと高速道路が見えて来る。
その周辺一体には未だに切り株や車の残骸が放置されているが、既に戻って普通の生活を営んでいる家庭も散見される。
「市内とはだいぶ違うナァ」等と暢気な感想を交わしながら、高速道路を通り越して荒浜地区に入った途端、思わず息をのんだ。

ここは、残骸の数が半端ではない。
まるで、震災直後の風景だ。
違うのは既に海水が引いている事だが、その結果か雑草一つない、将に荒れ野原状態になっている。
高速道路を過ぎた最初の交差点で、赤い警告灯を持った警察官から、「ここから先は、復旧の作業員と現地の住人以外は立ち入り禁止です」と注意された。
言われるまでもなく、これ以上進む気持ちにはなれない。
決して、単なる好奇心だけで被災地を身に行った積りはないのだが、それでも余りの被害のひどさに罪悪感を持ってしまう。
この地が元の状態に戻るのは、大変な時間と労力が必要だ。

午後に面談した顧客の社長は、「全員、あの地震の最中、これで死ぬかと思っていました」と回想していたが、それでも先々を楽観的に見ていた。
恐らくは、仙台市内は早晩元に戻るだろう。
しかし千年に一度と言われた今回の地震は、回復不可能としか思えない爪痕も残している。
荒浜地区は、それほどの大きなショックを受ける光景だった。