昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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馬鹿正直は困りもの

「真実の語り部」とは、誰あろう、当方の事だ。
「自他共に認める」と言いたいが、なかなか他人は理解してくれない。

長らく営業に携わってきた。
「喋り」は、重要な業務の一環であり、交渉の武器だった。
その為ともすれば、我田引水、牽強付会型人間と間違えられる。
一々訂正するのも面倒くさい。
そこで分かりやすく、「私は真実の語り部です」と名乗っている。
しかし聞いた人は、一様に怪訝な顔をする。

そこで、「真実だけだと些か面白くないので、わずか5%ですが脚色があります」とカミングアウトする。
この辺は、通常の業務目標やそのための方策まで、「何か何まで数値化しないと安心できない」、ノウハウブックの信奉者への説得を念頭においている。
その「崇高な志(?)」を理解できない輩達は、「真実と脚色のパーセンテージが逆ではないですか?」と、具にもつかない質問をしてくる。

パーセンテージは、話を分かりやすくする為に持ち出しただけ。
ネタをばらすと、実は真実だけの話などありえない。
また真実の部分は、往々にして退屈なものが多い。
我々は真実だけを語っている積りでも、実は無意識のうちに脚色しながら話す。
強調する部分と、出来れば触れたくない部分があれば、当然前者で時間を稼ぎ、後者はチャチャッと端折ってしまう。
話した内容に嘘はなくても、結果としては相手を誘導したとも解釈できるし、これを評して「交渉上手」とも称される。

「真実の語り部」とは、「私は意識的には嘘をついていません」とのエキスキューズとも言える。
馬鹿正直さには愛嬌はあるが、仕事仲間としては困ってしまう。
「実は私は」と白状されると、「今更そんな事を言うなヨ」ともなる。
夫婦や恋人も一緒で、「実は浮気をした」等と告白するのは、本人は罪の意識が軽くなるかもしれないが、聞いた方はその分不愉快になってしまう。
何でもベラベラと喋るのではなく、ひたすら平然と振舞う事を求められる事も多い。
自分の責任で、グッと真実を喉元にしまいこむ事が、本当に優しさになる。

結論として、「真実の語り部」を自称し、尚且つ信頼を得るのは、全人格を問われる事になる。
言うは易しいが、結構大変なのだ。