昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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「顧客の教え」の後日談

僕の地方営業所での冴えない会社生活は、延べ十年に亘った。
本社や主要支店で働く同期の連中に比べ、扱い量は最大顧客で十分の一、通常は百分の一程度なので、少々増えようと減ろうと、社内では全く注目されない。
気楽ではあるが、やり甲斐はない。
それでもモチベーションを維持するためには、どんなに超マイナー顧客でも訪問して親しくなるしかなかった。
 
規模は小さくても、顧客の代表者は一国一城の主だし、対面の担当者はその家老みたいなものだ。
それぞれに、経営に対しては一家言持っている。
そんな彼らからは、様々に示唆に富んだ話を聞くことが出来た。
僕はそんなエピソードを、全部覚えこむように努力した。
先に述べた「顧客の教え」もその一つだし、その他深く影響された言葉は枚挙に暇がない。
そしてこの「顧客の教え」には、後日談がある。
 
第一次石油ショックの狂騒はわずか三か月で終わり、その後は深刻な不景気となった。
日本中の企業が在庫をため込んでいたのに、急に買いの動きが消滅したのだから一挙に供給過多になる。
価格をいくら下げても全く売れないので、やむを得ずメーカーは製造設備を廃棄して生産調整する。
そんなドン底状況を脱するために政府が赤字国債を発行するまで、二年ほどかかった。
しかし景気が回復しても急な増産はできないので、今度は一転してモノ不足になる。
日本経済は、まるで学習効果のないことを繰り返していた。
 
そんなある日、ある大手顧客の担当から、営業所を訪問したいとのアポが入った。
約束の時間に現れたのは、件の担当者と恰幅の良い二人の紳士の三人組。
紳士二人は、この顧客の社長と購買責任者なので、かなり力の入った来社だと分かる。
本来の商談なら僕が呼びつけられるはずだが、わざわざ三人も雁首揃えて訪ねて来るからには、きっと難題を持ちかけられるに違いない。
そんな風に構えていると、徐に紳士の一人、購買責任者が用件を切り出した。
「実は親会社の新製品に、お宅の商品を使うことになった。ついては今までの購入量の倍が必要になるので、どうしても供給してほしい」
 
世が世なら無条件で有り難い要請だが、この時は玉不足なので、タイミングが悪い。
しかし、顧客の最高責任者まで乗り出している案件だ。
僕は瞬時にこれは断れないと判断し、「分かりました。直ちに手配します」と答えた。
彼らはそれまで心配していたのだろうが、この答えで破顔一笑
「イヤァ急なお願いで申し訳なかったが、今の答えで安心しました。ありがとう」とお礼を言った。
僕はこの時、以前の「顧客の教え」の換骨奪胎を返した。
「とんでもありません。我々は賞品をタダで差し上げるわけではありません。お買い上げ頂いた以上御礼を申し上げるのは我々の方です。今回はご注文ありがとうございました」
その後は四方山話に花が咲き、およそ一時間で商談は終了した。
実はその後の社内説得は一筋縄ではいかなかったが、結果として顧客の要望には満額回答が出来たので、この案件は今でも心に残っている仕事の一つだ。
 
そしてこの話には、更に後日談がある。
この時同行してきた顧客の社長が、その後我が社の本社を訪ねてきたらしい。
この社長は、我が社の事業責任者に対して、
「私は仕事柄、多くの人たちと会ってきたけど、〇〇営業所の彼は最も印象的な担当だ。あれほど気持ちの良い取引は未だかって経験したことがない」
と、僕の事をほめてくれたらしい。
事業責任者からは、「担当の事を文句言われたことは数多くあるが、わざわざ社長がほめに来るなんて前代未聞だ」と言われて、大いに面目を施した。
恐らくこの時こそ、事業部の中で初めて、僕の名前が知れた時ではないかと思う。
 
情けは人の為ならず。
別段顧客に情けを懸けた覚えはないが、あの時の「顧客の教え」を実践した結果、こんなにも喜ばれる。
やはり仕事の真実は、誠心誠意、顧客との共存共栄を目指すことにある。
ここでもまた、大いに教えられた。